Bernard Lo著『Resolving Ethical Dilemmas-A Guide for Clinicians』、第18章「DNR指示」についての要約

 さらにDNRに関わる基本的知識をまとめる。
 今回は、Bernard Lo著『Resolving Ethical Dilemmas-A Guide for Clinicians』の第18章「Do Not Resuscitate Orders」をまとめる。

Resolving Ethical Dilemmas: A Guide For Clinicians
Resolving Ethical Dilemmas: A Guide For CliniciansBernard, M.D. Lo

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以下はいわゆる「超訳」に基づく要約であり、基本的に不正確な部分が多いことを御了解いただきたい。

 人は死ぬとき必ず心肺停止する。それでもCPR(心肺蘇生術、Cardiopulmonary resuscitation)を行えば、心肺停止から回復することがある。しかし重篤な病気の場合、CPRは死からの回復をもたらすというより、死にゆく過程を引き延ばすことに終わる場合もある。
 心肺停止した患者については原則全例にCPRを行うことが医師の役割だ。しかし、事前に「CPRしない」と決断されている場合は例外だ。CPRを差し控えること、それがDNR指示(Do Not Resuscitate Order)、あるいはDNAR指示(Do Not Attempt Resuscitation order)、あるいはNo CPR orderである。

CPRの効果
 CPRのinformed decisionがなされるにあたって、患者にCPRの限界について情報提供する必要がある。
 急性期病院の一般病棟でCPRが行われた場合、心肺蘇生したのは40%程度であった。心肺蘇生した患者でも、退院までたどりついたのは、そのうち30%。ということは全体でいえば14%が退院まで達したが、残りの86%はCPRしても退院には至らず最終的に死亡した、ということだ。
 ある種の患者には、CPRの効果は乏しい。転移性の悪性腫瘍、敗血症、高クレアチニン血症の場合、退院までたどりつく可能性は極めて低い。転移性の悪性腫瘍に関する研究では、なかには9%、14%の退院率をあげた報告もあるが、ほとんどの研究で0%となっている。高齢者では一般にCPRの効果が乏しいが、年令自体が悪影響を及ぼしているのか、高齢者の持つ疾患が悪影響を及ぼしているのかは明らかでない。ナーシングホームでparamedicsがCPRを試みた場合の生存率について研究した二つの報告によれば、0%と1.7%という結果が出ている。
 CPRによって生じるcomplicationは、重篤な神経系の障害がある。ある研究では蘇生後24時間にわたり意識のない状態が続いた患者52症例のうち、1例しか退院までたどりつけなかった。他に約30%の確率で肋骨や胸骨の骨折、flail chestが生じる。

DNR指示が正当化される理由
正当化の理由
 CPRが差し控えられることへの、受け入れられうる正当化にはいくつかあげられる。
・患者がCPRを拒んだ場合
・代理決定者がCPRを拒んだ場合
・CPRが厳密な意味で「無益」である場合
 ・病態生理上、CPRの意味がない場合(心肺停止後数時間たって発見された場合など)
 ・最大、最善の治療にもかかわらず心肺停止した場合
 ・推奨されているCPRを試みても心肺蘇生しない場合

「無益」さを根拠にする場合の問題点
 しかし、医師はCPR差し控えの理由として、厳密さを欠いた意味での「無益」さをあげる場合がある。CPRを行ってもそのまま死ぬ可能性が大変高い場合に、CPRを行わないのだ。
 一方家族は、退院できなくとも命が少しでも長引けばよい、と願っている場合がある。しかし医師は、たとえ一時的に心肺蘇生しても、退院が達成できなければ意味がない、と考えがちである。
 医師が一方的に決めるのは問題が多い。その理由は三つだ。まず十分な研究が行われたことのある条件は数少ないこと。次に、医師によるCPRの結果の推測は不正確で信頼できないものだということ。三つ目に、文献上推奨されているよりも、医師が「無益」と判断する基準が緩くなりがちだということ。

「QOL」が大変低い場合
 「遷延性植物状態」やICUから出られないような患者に対しては、CPRの結果は差し控えられても良い、と考える医師や倫理学者もいる。しかし既に第9章でも述べたが、QOLが低いから、CPRは無益だ、と考えることは問題がある。

患者とDNR指示について話し合う

話し合うことへのバリアー
 医師は患者が話しあうことを望んでいないと考えがちだ。しかし患者は望んでいる場合が多い。そういう話をすると、希望を失ったり、うつになったり、治療を拒むのではないかと心配するが、そうしたことはほとんど起こらないものだ。

患者を選んで話しがちである
 医師は、心肺停止のおそれが高い患者だけと話しがちである。しかし重篤な病気をもっている患者すべてとCPRの結果について話し合うことをルーティンにすべきだ。選択的に話すと、その話をしたことが患者に「自分はそんなに悪いのか」と思わせることになるからだ。

患者は生存率を高く見込みがちだ
 患者はCPRについて誤解していることが多い。ある研究によれば、CPRのあとに人工呼吸器装着の必要が高いこと、そしてその際会話することができないこと、を理解している人はほとんどいなかった。また生存率を高く見込みがちだ。ある研究によれば、最初はCPRの実施を希望した患者も、CPRについての情報を得てから翻意した人が多かった。

DNR指示についての議論をより良いものにするには
・CPRについて話すことをルーティン化する
 正直にオープンに話すことがよい。「私は全ての患者さんと、重病になったときどうしてほしいかを尋ねることにしているんです。もしよければ、この点について話し合いたいと思いますが」といって、患者が了解すれば説明を始めるようにしてはどうだろうか。しかし、この際、バイアスのかかった具体的表現、たとえば「胸をがんがん叩くんです」などというのはよいことではない。
・informed decisionできるように十分な情報を提供する
 先にあげたような客観的な情報を提供することが必要だ。
・明確な推奨を行うことが必要なこともある
 厳密な意味でCPRが「無益」である場合には、患者に実施の有無を選択してもらうべきではなく、かわりに心肺蘇生を行わない判断について医師の視点から十分に説明し、その判断の妥当性を説明すべきだ。
・ケアは続けることを明確にする
 患者はDNR指示のあと、もう治療から手を引かれるのでは、と怖れるものだ。そうでない、と伝える必要がある。
・話し合いを繰り返す
 患者や代理決定者は、この問題について話し合い、気持ちを整理するのに時間が必要だ。それゆえ話し合いは繰り返すことが大切だ。

DNR指示の意味

DNR指示を文書で行う
 誤解をふせぐために、DNR指示はカルテに記載されねばならない。そしてその理由と、患者や代理決定者の同意、これからのケアについてのプラン、についても書かれねばならない。
 口頭での指示は、医療ミスや誤解、混乱のもとになる。

DNR指示の解釈
・他の治療に対するDNR指示の意味
 DNR指示は単にCPRを差し控えるという意味でしかない。DNRであるからといって、抗生剤投与や輸血や他の積極的は行わないでよい、というわけではない。多くの病院で、より細かなDNR指示が出されるようになってきた。たとえば、呼吸器を使うのか、昇圧剤を使うのか、不整脈をとめるのか、それとも自然経過にまかせるのか、について理解が共有されていることが、医療チームにとっては重要である。
・「limited」あるいは「部分」DNR指示
 場合によっては医師は、心肺蘇生を行う時間を限定したり、除細動や挿管など積極的な治療は行わないことを決断することもあるだろう。そうする理由は、主に、基本的なCPRで蘇生しない場合は、不可逆的な脳の障害を負うことになることがあげられる。しかし、これは問題がある。蘇生の際に、不可逆的な脳の障害や脳死を示す信頼できるサインはないからだ。それに基本的なCPRを行っても心肺蘇生しない場合でも、積極的な治療で再開する場合もあるからだ。
 しかし、患者や代理決定者が「部分」DNR指示を希望する場合はこの限りではない。
・誤解を防ぐ
 DNR指示によって、スタッフがケアをやめてしまうのでは、と考えて文書でDNR指示を出すのを躊躇する医師もいる。しかし、大切なことは、DNR指示は「ケアをやめる」ことを意味しているのではない、ことを共有しておくことだ。

特殊な状況
DNR指示の出ている患者が手術を受ける場合
・救急医療サービス
・ナーシング・ホーム

 この本は、医師にとってはとてもわかりやすく、実践的な本だ。この章でも、DNRについての過不足ない情報が整理されて提示されているので、臨床家にとっては大変有用な倫理ガイドブックである。

 このような臨床家にとって「使える」医療倫理の本を低く評価する傾向が、倫理学者の中に時に見られることがある。もちろんこの本も批判されるべき点は沢山あるだろう。それはどうしても臨床家を対象にした本であれば、議論の徹底さを犠牲にせざるをえないからだ。臨床家の仕事は多岐に渡り、一つ一つについて厳密に考えることは現実的に無理である。だから、「使える」医療倫理の本にみられる思考の浅さは指摘されればそのとおりとしかいいようがない。また原理的な考察の本に比べて、その思考の寿命は短く、議論の射程も狭いものであることは確かだ。
 ただしその本の持つ限界を把握した上で利用するのであれば、治療者だけでなく、患者にとっても利益になるのではないか。その意味で臨床的な倫理の本も独自の価値を有するものであり、原理的な考察に比べて価値が低いわけではない。
 原理的な考察と臨床現場の問題とは互恵的な関係にあるはずであり、どちらが「価値が高い」という比較は倫理学者にとっては意味があるかもしれないが、医療者や患者にとってはあまり意味がない。