ひたすらインプットの日々

 診療の後で、本日は李啓充氏の講演会に参加。「医療崩壊」に関するテーマであった。静かな、そして理性的な語り口が印象的ではあった。主張は理解できたが、勇ましい善悪二元論的な主張であり、その主張の正当性に対して一定の留保をつけながら聴くべきだと感じた。
 考えるべきこと。「市場」というツールについて。「分配」の問題について。とりわけ精神療法の価値が数値化しにくいものであり、かつ情報の非対称性の大きな治療であるだけに、「市場」だけではうまく供給されていかないだろう。医療の中で精神療法を行うのであれば、こうした問題には自覚的であらねばならない。

 夕刻より緩和ケアカンファレンス。看護師のていねいなケアに感心する。教えてもらったことだが、ご遺族は初七日を過ぎるころに病院にあいさつにお見えになることが多く、病院職員は四十九日頃に遺族宅をうかがうことが多いという。面白い。また病院に忘れていかれた御遺品についてどう扱うのか、という話も興味深い。

 夜は、斎藤環編『ひきこもる思春期』をざっくりと。
 巻頭の中井久夫、青木省三、斎藤環の三氏による座談会は実に面白い。一部抜粋すると、

青木「・・・個人療法でかなり豊かなセッションが続いているように見えて、二年か三年ぐらいしたときに気がついてみると、治療者・患者関係とそれから家族以外に、現実的な対人関係が全然なかったというようなことを経験したことがあるんですね。治療というのは本来、社会的広がりの方にむかっていくはずのもの、あるいは応援するものであるのに、実際には治療者・患者関係の中だけになにか豊かなものがあるようにみえてしまう」(P22)

中井「・・・ぼくも10年ぐらいのあいだ誰か一人にカウンセリング受けた女性が訪ねてきて、なかなかチャーミングなひとなんだけど友達が全然できないというのね。どうしたんだろうと思ったら、要するにカウンセリングを中心に10年生きているわけだ。カウンセリングは自分のことを話すだけで、相手のことを知ることは禁じられているわけだから。そうするとどうも、友達関係でも自分のことばかりを話す人になってしまっていて、人とせっかく出会ってもすぐ相手にされなくなる」(P23)

そして斎藤氏の以下の指摘。

斎藤「学校化という過程を病理的なものとしてとらえるなら、偏差値的な価値意識の絶対化よりは、その価値が信じられないにもかかわらず従わざるを得ないという過程がもたらす強迫性、こちらが問題なのではないか。」(p26)

 しかし中井先生の博覧強記ぶりには脱帽だ。

 それからR.アンダーソン、A.ダーティントン編、鈴木龍監訳、李振雨、田中理香ほか訳『思春期を生きぬく―思春期危機の臨床実践』へ。タビストックの思春期青年期部門AdolescentDepartmentのセラピストによる臨床事例に基づいた論文集で、原題はFacing it out: Clinical Perspectives on Adolescent Disturbance。1998年刊。とにかく、タビストックの治療者がビオンの影響をこんなにも受けているのか、と強い印象を受けた。
 この本は統一的、あるいは総合的な思春期心理に関する知見を与えてくれるものではない。また、Bionの概念をただ自分の臨床にあてはめただけの独創性の乏しい章もある。しかし、たとえば虐待例、知的障害、摂食障害、などについて細やかな視点を持ちながら治療者患者関係についてていねいに考察していく著者らの態度が、いろんなインスピレーションを与えてくれる。その点で良書といっていいだろう。
 中でもマーゴ・ワデルMargot Waddell『スケープゴート』(pp165-183)が面白い。いわゆる「いじめ」につながる人間心理の理解に役立つ内容だが、その視点の広さゆえに刺激的な内容となっている。旧約聖書レビ記を題材にとり、生贄としての山羊のうち一匹がヤーヴェに犠牲として捧げられ、一匹がスケープゴートとして荒野に捨てられるエピソードをとりあげ、その二匹の象徴的機能に着目する。彼女は、一匹目の「犠牲」だけでは贖えない罪の意識が、「スケープゴート」に仮託され、それが追放されることによってようやく処理される、という意味を読み取っていく。すなわち慰撫されて償いとして変貌していく可能性のある攻撃性の他に、内的世界から追放することによって主観的に体験されないようにするほかない攻撃性の存在を象徴としての「スケープゴート」に見てとり、これをクラインのいう「人格の破壊的部分の存在」と重ね合わせて論じていく。こうした議論を、彼女の治療例だけでなく、ゴールディングの『蝿の王』、コンラッドの『闇の奥』などに触れつつ述べていくわけだが、こうした多元的な視点から論じることによって、人間の深い攻撃性とその処理の仕方を、立体的、重層的に描き出すことに成功している。この著者には、教養の厚みを感じる。
 
 いろいろ読む中で、少しずつレクチャーの構想が立ち上がってきた。自分の内的世界と治療体験とを核にしながら、多様な情報や意見を有機的に結びつけられそうになってきたが、まだ1週間の猶予があるので、もう少し頭の中に雑然と情報を放り込んでいこう。

 ただし「権威」については意識的に考えることが必要だ。そしてまた「中庸」の価値についても。