七五三という儀式の現代的意義

 本日は七五三で近くの神社へ。なんというか、「珍妙」としかいいようのない儀式であった。
 まず祈祷申込書に氏名、住所を記入した上で、社務所で初穂料とともに提出。すると複写された「伝票」とともに、オレンジ色の「おみやげ引換券」と緑色の「おもちゃ引換券」を渡される。それをもって「待合室」に行くと、そこには既に10組ほどの子どもと親、祖父母らが所在なげに佇んでいる。しばらくすると神主が現れ、「では伝票をお渡し下さい」というと、親はそれに従って「伝票」を渡し、その後参加者はどやどやと一斉に奥の拝殿へ。
 全員が座ると、神主は「ようこそ○○神社に御参拝いただき、ありがとうございます。親御様は、まずお子様に『おみやげ引換券』だけ渡してください。なお、『おもちゃ引換券』はあとですから」などと指示をする。その後、神主が祝詞をあげる。「伝票」をみながら「○○市〜○○〜町15〜番地グ〜ランド〜メゾ〜ンリバ〜ティー自由が丘〜305号〜室〜に住める〜鈴木〜花子、ななとせの祝いに〜」などと節を付けながら奏上。祝詞を終えると神主はやおら立ち上がり、神前に供えられていた段ボール箱を担いで子ども達の前に置く。そこには「おみやげ」と書かれた千歳飴袋がぎっしりつまっている。気がついた子ども達はわれさきにと箱に群がる。神主が制止して、「順番だよ、順番」などといいながら、勢いよく突き出されている子ども達の手に握られた「おみやげ引換券」をもぎりつつ、千歳飴袋を渡していく。渡し終わると、「本日は○○神社にお参りありがとうございました。おもちゃは神殿を出て左手ですので、お立ち寄りください」と言うと、お開き。その後「おもちゃ引換所」で、子ども達は券と引き替えにお気に入りのおもちゃをもらってご満悦、となる。
 あまりにも世俗的。ここまで骨抜きにされた儀式も珍しいだろう。
 とはいいながら、このベタさ加減はそんなに嫌いではない。このつきぬけた屈託のなさに、思わず「とほほ」と苦笑してしまうのだが、どうやら隣の家族も、そのまた隣の家族も「とほほ」と苦笑しているのだ。縁あって同席した10数組の家族と、この「とほほ」感を共有するところに奇妙な連帯が生まれ、この時代に生きていることの喜びがうまれるような気がする。というとオーバーか。

 帰宅後、弘文堂の『日本宗教事典』で第二部「神道」と第八部「民俗宗教」をざっと眺めて、七五三の意味を確認する。そして宮田登冠婚葬祭』で「七五三」に関する部分を読み、さらに柳田國男著『家閑談』から「社会と子ども」(文庫版柳田國男全集12所収)を読む。柳田によると、「七つという年は男の児にとって、かなり顕著な境堺線であったことは、いろいろな点から証明し得られる。・・・上総の東海岸では海に連れて行って水垢離まで取らせる」(p314)とのこと。七つ子参りがまず重要な儀式として存在し、その後、5才、3才が加わったようだ。いずれの本も面白く読む。
 しかし、柳田國男は痛快だ。

 ・・・人間の生の営みを宗教倫理、政治経済等々に分類して考えることは、それこそ現代人だけの智巧であって、何千年とも知れない過去社会には、それがすべて融合して、渾然たる「この世」というものを作っていた。ちっとやそっとの考察によって、境目を立て専門の領分をきめようとすることは、実に大胆に過ぎたる企てであったということを、民俗学の学徒は皆感じている。(P312)

 この矜恃、決して嫌みではない。

 夜は、村上春樹著『海辺のカフカ』へ。