レクチャー準備と漱石と

 昨日「突撃〜!」と勇ましく読み始めた上野千鶴子氏の『近代家族の成立と終焉』。力作で面白いのだが、気がつけばもうレクチャーが明後日。もう時間切れなので、次の機会に、とあいなった。今回は縁がなかった、ということで書棚にしまう。さようなら〜。
 ということで今日からは、レクチャーの準備モードへ突入。もう「家族」関連の本を開くことはせず、今まで読んだものも頭の中から一旦全部捨てて、何も参照せずにひたすらレクチャーの原稿を書く。
 まだ手を入れている最中だが、まずはわれわれが抱いている「家族ファンタジー」のパターンを二つ抽出し、そのファンタジーの来歴について述べ、現代にいきるわれわれの心理にどのような非合理的影響を与えているのか、について語る予定。そして、そのファンタジーが具体化した例として、理想の家族としての「皇族」と「サザエさん」についても話そうと思っている。そのほうがわかりやすいだろうから。
 なぜわれわれは、そうした対象に理想の家族ファンタジーを投影するのか。そうした対象が、われわれの投影をひきうけることによってどうなるのか。特に「皇族」は投影を引き受けざるをえない職業であるが、その役割を演じているのは生身の人間でもあるわけで、そこに深刻な葛藤がうまれるはずであり、そういう意味で不可能に近い仕事をなさっている、といった話題についても話そう、とか考えているところ。

 合間に『漱石文明論集』を読む。ううむ。講演における漱石の語り口はすばらしい。主題はいずれも至極まじめなものであるけれど、漱石の用いるアナロジーや語り口がおかしみを感じさせるから、読者の心の多様な側面が動かされてしまう。だから読んでいて「おもすれー」という思いにさせられてしまう。落語好きらしい漱石一流の「話芸」に、当時の聴衆も「おもすれー」と思っただろうな。