「現代の家族」レクチャーの一人反省会

 「現代の家族」レクチャー終了。感想文は好意的なものがほとんどだった。しかし話している側からすれば、今回は手応えがなかった。残念。終わってから一人反省会。 
 話の中身をまとめておく。
 われわれが自分たちの家族のことを考え、何らかの価値判断を下す(「最近妻は家事をしっかりしないなあ」、「私の夫は父親としてしっかりふるまっていないわ」など)際には、その人が有する家族に関する何らかのファンタジーと現実の対象とを比較して判断している。その判断がわれわれの言動に影響を与えるものである以上、われわれが有している「家族ファンタジー」について理解しておく必要がある。
 日本人において比較的共有されているファンタジーの類型として、「三世代同居家族ファンタジー」と「幸せな核家族ファンタジー」をとりあげ、前者の代表を「サザエさん一家」と「皇室」に、後者の代表を、不動産広告によく出るタイプの幸せな核家族イメージとみなして、その由来と特徴とを説明した。しかしそれらのファンタジーは現在では現実的根拠が乏しいものであり、にもかかわらずそうしたファンタジーの実現を期待しても無理があることを確認した。
 その上で、現在でも家族に期待されている機能は「感情の受け皿機能」であり、これは今後も残るであろうこと。それを保つためには、家族の構成員が情動をcontainしあうことが大切であり、精神的な問題で行きづまった家族を援助する立場にあるものは、家族というシステムが閉じてしまわぬように働きかけ、その問題について「考えること」へ誘い込むこと、がまず基本である、というようなことを話した。
 話自体はそこそこうまくまとめたつもりだったし、感想も好意的であった。しかし、私には後味の悪さが残った。なぜかというと、要は「ライブ感」がなかったからだ。聴衆の感情の動きを察知して、こちらの話を臨機応変に変えていく自在さに欠けていた。だから原稿に頼って押すだけの一人相撲になってしまった。後味の悪さはそこに由来する。
 聴衆の反応に即応しながら、専門用語に頼ることなく話題を展開させていくだけの思考の蓄積が私になかったということだ。まだまだである。修練あるのみ。

 そんなわけで、今日は前田重治著『「芸」に学ぶ心理面接法―初心者のための心覚え』(1999年刊)を開いた。こんなときは前田先生の言葉が心に染みる。

こちらが思わず面接に取り込まれてしまって、日ごろのゆとりを失ったり、行きづまって焦ったりしているようなときに、さらに知的な言葉で固められた干涸びた教科書などを読むのはうっとうしい。それよりは、芸事についての、心をのびのびさせてくれる言葉に触れることは大きな慰めになったものである。その頭よりも、心をうるおしてくれるような新鮮な言葉は、硬化しがちな知的なサビを落とし、精神の自由さをよみがえらせてくれる力をもっていた。(p32)

 本当にその通りだと感じる。
 ということで、至芸の語り口を楽しむために、今日は『ショージ君の南国たまご騒動』でほっこりして寝ることにしよう。