クロード・ベルナール著『実験医学序説』を読む

 クロード・ベルナール著『実験医学序説』を読んだ。三浦岱栄先生翻訳の岩波文庫版を手に取る。原書は1865年刊。訳本は1938年刊だが、1970年に改訳版が刊行されている。
 ところでこの本、これが実にすばらしいのだ。科学的な方法論への信頼を基礎にして、実験医学の重要性を高らかに謳いあげるのだが、しかし経験医学を過去の遺物として放り出すのでなく、それをも科学的な視点で包摂した理論を構築しようとする。このバランス感覚というか、視野の広さがすばらしい。
 せっかくなので、ざっと要約しておく。 
 ただその前に一点、どうしてもふれておきたいことがある。岩波文庫版の表紙には、クロード・ベルナール肖像画が載っているのだが、これが僕にはどうも成田三樹夫に見えてしまって困った。よく見れば似ていないのだが、一度そういうイメージがついてしまうと、本を読んでいても成田三樹夫の顔が浮かんできて落ち着かないのである。
 だから、クロード・ベルナールが出版社と『実験医学序説』について相談をしているイメージはこんなものになってしまう。

 それはともかく、この本の要約に移る。
 まず全体は三部構成となっている。第一編が「実験的推理について」、第二編が、「生物における実験について」、そして第三編が「生命現象の研究に対する実験的方法の応用」。
 第一編では、最初に観察と実験という二つの方法についてベルナールは考察する。彼は次のように定義する。

観察は自然現象そのままの探求であり、実験は、探求者によって手心を加えられた現象の探求である。(p35)

 このうち「観察」だけに依拠していては賢明になることはなく、「知識を得るためには、必ず観察したものについて推理し、事実を比較し、標準の役をしている他の事実からこれを判断しなければならない」(p35)と主張する。このために「実験」という方法を用いるべきだと主張するのだが、その際に先入観に惑わされず、実験によってえられた事実にとにかく従うことが重要だと述べる。

 実験家は自然に向かって質問を発する。しかし一旦自然が語るや否や、彼は沈黙しなければならない。彼は自然の答えるところを率直に検証し、底の底まで耳を澄まして聴き、またどんな場合にあっても自然界の約束にしたがわなければならない。(p46)

 あるいはこんなことも述べている。

 実験の決定の前では、自分の意見も他人の意見と同様に抹殺しなければならないということになる。・・・専ら先入観念を証明するために議論したり、実験したりするときは、彼はもはや自由の精神をもっておらず、またもはや真理を求めていないのである。かえって個人的虚栄心、或いはその他いろいろの人間的感情を混じた狭量な科学を作るのである。(p71)

 彼は、たとえば中世のスコラ哲学のような絶対的真理を構築しようと企図した学問を否定的に眺めている。そして科学は、そうした絶対的真理を目指すものではないのだと強調する。

 科学者は、部分的真理から一般的真理へと進んで行く。しかし決して絶対的真理をもっているなどという自負心はもたない。(p53)

 この科学の性質ゆえに、科学者は本来的に謙虚な精神を持つはずだともいう。

 ・・・論争しているとき、彼らの相反対するする議論の中に、絶対に確実なことがただ一つだけある。それは二つの学説とも不完全であって、いずれも真理を表していないということである。したがって真の科学的精神は我々を謙遜にしなければならない。(p71)

 さらに今のEBMにつながる指摘もしている。

 実験的方法が科学の中にもたらした革命は、個人的権威に代えるに科学的規範を以ってしたということである。(p73)

 ここで面白く感じるのは、彼が理性による真理探究だけを重視するのでなく、感情が果たしている働きについても十分目配りして、理論を構築している点である。

 この方法による真理の探究においても、出発点となるのは感情である。この感情が先験観念または直観を生む。次に理性即ち推理が観念を発展させ、論理的結果を演繹する。しかしながらもしも感情が理性の光によって照らされなければならないとすれば、理性はまた今度実験によって導かれなければならない。(p54)

 以上が第一編である。成田三・・・じゃなかった、クロード・ベルナールの問題意識は、きわめて鋭い。ちょうど成田三樹夫の眼光が鋭いのと同様である。(こじつけだな)

 こんなクロード・ベルナールだったら、怖いな。
 それはともかく、次に第二編「生物における実験について」。
 ここで彼は、科学には限界があるという。その限界とは、「なぜ」という問いには答えられないことである。彼によれば、「いかにして」ということを扱うのが科学であって、「何故に」という本質に関する問いは科学を越えていると述べる。
 次に、生物を扱おうとするのであれば、あくまで全体的視点をもっていなくてはならないのだと強調し、逆に部分だけを切り取って実験と考察を行うことには問題があると主張する。

生物体の調和的統一という見解を見失って生理的分析を行なうことは、生命の科学を誤解し、生命の特徴を全く傷つけることになる(p151)

 このあと、医療倫理の問題にも彼は触れていく。医学的研究のために、生体解剖が許されるのか、ということについて論じていく。まず、許されるとすればどのような場合に許されるか、人間に対して実験や生体解剖を行ってよいのか、死刑囚に対して行ってよいのか、動物に対しては行ってよいのか、一般の人の感情的反応や科学に無理解な人の意見を尊重するべきか、・・・などといった一連の問いに答えていく。
 第3編になると、ベルナールが過去に取り組んだ実験などを紹介しつつ、その体験をもとにして彼の意見をやや断片的に述べていくようになる。そのため第2編までとは、すこし雰囲気が変わっている。成田三樹夫が雰囲気を変えるように、である。(これもこじつけだな)。
 これが雰囲気のかわった成田三樹夫

 さて第3編については、彼の主張を断片的に抜粋しておく。まず、これまでの学説と異なる意見であっても、それを勇気をもって発表するよう励ます一節。

・・・新しい領域に入る場合には、あらゆる方面において研究を刺激するように少しくらい冒険的の意見を発表することを恐れてはならない。プリーストリの言葉を借りて言えば、「間違いはしないかという恐怖に基づいた誤った謙遜によって竦んでいてはならない」のである。(p268)

 次に、既存の学説を鵜呑みにして信頼するのでなく、あくまで道具として使えばよいのだと論じる次の一節も面白い。

 たとえ承認されている思想または学説であっても、生物科学の現状にあっては制限された真理、一時的の真理をあらわしているにすぎなくて、いつか消失する運命にあるということである。したがって学説の真の価値にあまり信頼を持つことなく、単に科学の進歩に必要な知的期間、新しい事実を発見するのに大切な知的道具として用いるべきである。(p277)

 また精神病理や精神分析の勉強をする際に、肝に銘じておきたい一節もあった。

人がある現象を特徴づけるために一つの言葉を創作するとき、その当座はこの言葉によって表現しようと思っている観念、またこの言葉に対して与えられる正確な意味について、誰でも一致している。しかし時がたつと学問の進歩によって言葉の意味が、ある人にとっては変ってくる。しかるに他の人にとっては、その最初の意味をもったまま用いられている。その結果不一致ということが起り、同一言葉を使用しながら、甚だ異なる思想をあらわしているということがしばしばあるくらいである。・・・我々はどこまでも現象に執着すべきであって、もしも言葉があらわしているはずの現象が未決定であるか、あるいは存在しないときには、このような言葉は意味のない表現にすぎないことを結論しよう。(p305)

 それから、学会での発表へ批判的意見を述べるとき、いちゃもんをつけるような態度をみせる人がいるが、それがくだらない態度であることを教えてくれる、次の一節。

・・・他人の研究の中から、すぐれている点や重要な点を無視したり、かくしたりして、ただ弱点や欠点だけを指摘するやり方である。この方法は誤った批判法である。科学においては批判という文字と中傷という文字は同一語ではない。批判するとは、正しいことを誤っていることから分離しつつ、またよい点を悪い点から区別しつつ、真理を探究することを意味している。(p305)

 最後に、実験医学を肯定するからといって経験医学を全否定せず、それを科学的視点で包摂しようとするベルナールの一文。

実験医学は観察医学を否定したり、また医薬の経験的使用を否定したりしなければならぬと言ったのではない。それどころか実験医学は、いかなる事実をも、またいかなる俗間の観察をも一定の型にはめて排斥したりなどしない。あらゆるものを実験的に吟味して、まず観察医学や経験医学が実証したところの事実を、科学的に説明しようとするのである。(p320)

 いやあ、クロード・ベルナールはえらい。この絶妙なバランス感覚が印象的である。きっと、治療もうまかったのではないか。
 しかし成田三樹夫に似ているというのが、不思議である。この事実は、いったい何を意味しているのだろうか。二人の間に関係があるのか。似ていることが、果たしてよいことなのか。岩波文庫の表紙が投げかける問いは、深く重たい。
 そこでこの場を借りて、岩波書店に提案をしておきたい。
 再版の際には、表紙の肖像画成田三樹夫に似ていないものへ差し替えることをお勧めします。
 しかし逆に、ベルナールの肖像画成田三樹夫の写真に差し替えるというのも悪くないアイディアのように思います。意外に売れるかもしれません。
 岩波書店さん、ぜひご検討ください。

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