講演録:災害時のこころのケアについて(2)

4 専門家につながるにはどうすればよいのか

 そのように専門家と協力すればよいということはわかった。しかし、現地でこころのケアの専門家にアクセスしたいと思ったときには、どうすればよいのか。そういう疑問が浮かんでくるものと思います。
 その点についてお話ししますが、ただ今回の震災では、被災地域が広範囲にわたっており、また自治体によって被災状況、支援状況は大いに異なっているはずであり、また現地の事態はまだ流動的に変化しているようですので、ここではあくまで一般的なことだけお伝えします。
 現地で活動している精神保健の専門家は大きくわけて、二つあります。一つは、もともと現地在住の専門家です。もう一つは、外部から支援にはいっている専門家です。
 もともと現地在住の専門家の方々は、ご自身も被災されていながらも、使命感をもって必死に医療活動を継続されていると聞き及んでいます。精神科医だけでなく、保健師や看護師、精神保健福祉士臨床心理士といった方々が日常の臨床をこなしながら、地域精神保健活動にも懸命にご尽力されているとのことです。しかし、「かなり疲労の色が濃くなっていらっしゃる方が多い」と現地に医療支援にいっておられた方から先日聞きました。
 一方、外部から活動にはいっている専門家としては、まず都道府県レベルから公的に派遣された「こころのケアチーム」というものがあります。このチームは、精神科医や児童精神科医、看護師、精神保健福祉士臨床心理士らがグループを組んで活動されています。現地の医療機関の援助をしたり、あるいは避難所まわりをして、精神的な不調な方をできるだけ早期に発見したり、精神的なケアに関する啓蒙活動に取り組んだり、などの活動をされています。この「こころのケアチーム」のような公的支援グループ以外にも、民間から自主的に被災地へ赴き、自立型の支援チームとして活動をされているチームもあるようです。これらのチームは、いずれも息長い支援を考えておられるようですが、一人一人の派遣期間はそれほど長くないので、現地の方にくらべれば疲労度は高くないようです。
 そのような様々な専門家が活動されている中で、一般の支援者が現地でこころのケアについて相談するとすれば、まずは外部から入っている「こころのケアチーム」にアクセスするのがよいだろうと思います。それぞれ災害支援の専門的技量を有しておられること、地域の医療体制についても一定の情報をもっておられ連携をとりやすいこと、現地の方ほど疲労されていないので相談しやすいこと、などがその理由です。ただ、そのチームがどこで活動しているかわからない場合も往々にしてあると思います。その場合には、現地自治体の災害支援窓口がチームの活動を把握しているはずですので、そこへおたずねになってもよいかもしれません。あるいはそのようなチームにアクセスするより、もっと地元の医療機関に直接アプローチせねばならないような事態に直面された場合には、地域自治体の保健所に相談されるのも一法だろうと思います。
 ただこのような情報はあくまで一般的なものであり、各被災地の特性を踏まえたものではありませんし、また現地の事態はこれからも流動的に動いていくはずです。その点をご考慮いただいた上で、適切に専門家と連携をとっていただければと思います。

5 こころのケアが目指す二つの方向性

 さて、専門家との連携について理解した上で、ここからは災害時のこころのケアの実際について話していきましょう。
 ただ具体的なケアの詳細に入る前に、最初にこころのケアの全体像を示すことにします。大まかに言って、被災者に対して行われるこころのケアは二つの方向性のバランスをとりながら進んでいきます。その一つは、さらなる傷つきから被災者のこころを保護する方向です。もう一つは、被災者がつらい現実に直面することを支える方向です。この二つの方向をうまくバランスをとって進めることが、こころのケアの大切なポイントです。
 では、この一つ一つについて詳しく見てみましょう。

1)さらなる傷つきからこころを保護すること

 まず、さらなる傷つきからこころを守ることについて述べます。そもそもなぜ傷つきからこころを守る必要があるのでしょうか。その理由を説明するために、「ストレス」と「トラウマ」という概念を導入して話を進めます。
 今回の災害にかかわらず、世の中には心身の緊張を高め、苦痛をあたえる刺激があふれています。このような、一時的に心身に不快をあたえる要素を一般に「ストレス」といいます。なお専門的に言えば、心身に生じる歪みや緊張を「ストレス」と呼び、ストレスを引き起こす外部からの刺激要素を「ストレッサー」と呼ぶのが正しいのですが、一般ではこの二つが区別されずに使われています(例:「課長がストレスで、もうつかれたよ」という嘆きを正確に言い換えるなら、「課長がストレッサーとなって、私にストレスが引き起こされた」ということになる)ので、ここでは一般的な用法に従って話を進めます。
 日常生活の中にはストレスがあふれています。ただ一時的にストレスを受けても、その後リラックスする時間を確保すれば、人間は特に調子を崩すことなく、そのストレスを乗り切っていけます。しかし非常に強い衝撃をあたえるようなストレスを受けると、心身にその影響が持続的に残ってしまうことがあります。この長期的に残るこころの傷を「トラウマ」といいます。
 このトラウマの発生の背後には、身体的な変化が生じています。その機序について説明しましょう。たとえば今回の震災で、接近してくる巨大な津波に気づいたとき、多くの人は強烈な恐怖を感じたはずです。皆さんも身の危険を感じて恐怖がわき起こってきた体験があると思いますが、そうした恐怖は、強烈な身体反応を伴います。胸がどきどきして、汗をかいて、身がすくむ。その恐怖の体験が過ぎたあとも、しばらくどきどきしたり、おちつかない気持ちになったり、汗をかいたり、食欲がわかなかったり、寝られなかったり、ということが生じますね。
 こうした反応が生じるのは、、脅威に対して自然に生じる身体的な反応系があるためです。とりわけ重要なのは、自律神経系といわれる神経系の反応と、とHPA系といわれるホルモン系の反応です。
 強烈なストレスがかかると、まず自律神経系が反応します。自律神経は、意識に支配されずに自動的に動き、人間の身体活動の多くに影響を与えている神経です。自律神経には、交感神経と副交感神経の二つの神経が含まれ、緊張したときには交感神経が優位に作動し、リラックスしているときは副交感神経が優位に作動します。たとえば私がこのように人前でレクチャーをしているときには、交感神経が優位に作動して、心拍がはやくなり、血圧が上昇したり、手に汗をかいたりしています。交感神経のこうした働きは、おそらく進化の過程において、敵におそわれた場合、それに対して戦ったり、あるいは逃げるために有利な身体的な態勢を自動的に準備するために備わったのだと考えられています。ただ、今は交感神経優位の状態に私はいますが、レクチャーが終わって家に帰ると、おそらく私はほっとして、交感神経よりも副交感神経が優位に作動するようになるはずです。すると心拍は下がり、血圧も下がり、発汗も減って、消化機能も高まるので、小腹が空いたりします。このような交感神経と副交感神経という二つの神経のバランスの中で、人間のストレスへの身体的反応は規定されています。
 さてストレスに対して自律神経が反応しはじめた後、ついで身体の中で分泌されるホルモン系の変化が生じます。ここで生じる仕組みは、HPA系(視床下部−下垂体−副腎系)と呼ばれています。ストレスがかかると、まず視床下部という部分からCRHというホルモンが出て、下垂体を刺激し、そこからまた別のホルモンがでて、最終的に副腎からコルチゾールというホルモン放出が増加することになります。これが血中に放出されると、さまざまなストレスに耐えて生きていけるように、エネルギー源を動員して、免疫系を抑制する反応が展開していきます。ただこの反応が高まりすぎないように制御するのが、脳の中にある海馬と扁桃体という部分でして、このうち海馬がCRHというホルモンの放出を抑制します。つまり、ストレス反応が高まりすぎると、それをセーブするような反応が起こるわけです。
 ここまでの説明の要点をまとめましょう。まずストレスがかかると二つの反応系−自律神経系とホルモン系−が作動する。これらの機構が、ストレス状況に適切に対応できるように身体機能を高めたり、逆に興奮が高まりすぎるとその活動をセーブしてくれる働きを担っている。健康な状態では、このバランスがうまくとれている。このようなことをご理解いただけたと思います。
 しかし強烈なストレスがかかったり、持続的反復的に強いストレスがかかると、この調節機構が不調を来すことがわかっています。ストレス要因が去ったにもかかわらず、そうした反応系が持続的に興奮するので、動悸が起こったり、覚醒して寝れなかったり、食欲もでなかったり、些細な刺激で恐怖の体験が突然よみがえってきたりすることになります。つまり、ストレスに対してそれまで適切に反応してくれていた交感神経系やHPA系が、強烈な脅威にさらされると反応しきれなくなって調子がくずれてしまい、その不安定さが慢性化してしまう。そのために、ちょっとした類似の刺激にさらされるだけでも、元の外傷体験の際に感じた、恐怖心や身体的な反応が生じて、苦痛にさいなまれることになる。これが主観的には心の傷、つまりトラウマとして体験される現象です。この時に生じる心理的・身体的な反応をまとめて「トラウマ反応」と呼びます。このトラウマ反応のうち代表的なものはPTSDですが、トラウマ反応は何もPTSDに限ったものではなく、PTSDの診断基準にあてはまらなくても、うつ状態に陥ったり、精神的に不安定になったり、身体的に不安定になったりすることも含まれます。
 このようなトラウマ反応の身体的基盤をご理解いただければ、さらなる傷つきからこころを保護することが必要な理由もご理解いただけると思います。つまり、被災後も大きなストレスがかかり続ければ、こうした調節機構がさらに不安定化し、それが慢性化、重症化する可能性が高まってしまうからです。そうした危険を回避するためには、被災者の方のストレスが少しでも減るように、そして心身を十分に休められるような配慮を行うことがとても重要だということになります。その意味で、食事や睡眠がとれるようにしたり、ライフラインの整備をしたり、避難所生活を少しでも快適にするための工夫を重ねたりすることは、「こころのケア」という点でも非常に重要な援助だということができます。さらに被災者の方々に、より積極的にリラックスしてもらう方法をトライしてもらうことも有用です。たとえば軽い運動にとりくんでもらったり、交感神経のはたらきを静める「腹式呼吸」にとりくむようアドバイスをしたりするのも有用でしょう。また積極的な娯楽の機会を設けるのも役にたつと思います。よく報道されているような、避難所での音楽演奏会や芸能人の慰問などの機会があれば、それもまた大きな「こころのケア」になるはずです。
(続きます)