ビジネス・エシックスを学ぶ(その1)

 私は病院勤務ですが、医療も経済行為に他なりません。最近は株式によって資金調達を行う病院を認めるかどうかの議論がなされたり、病院の倒産事例が相次いだりするなど、病院の一職員としては経営的側面についても十分勉強しておかなくてはならない事態になってきました。
 また心理療法もクライエントとフィーのやりとりが生じますから、これもまた経済行為です。
 いずれについてもその経済的側面の倫理的問題については過去あまり検討されておらず、そしてそこを深く考えれば治療関係の重要な問題点を認識するための重要な鍵が隠れているようにも感じられます。

 そういうこともあって、ビジネス・エシックスについて少しずつ勉強しようと考えるに至りました。まず手始めに倫理の入門書からビジネスエシックスについての章だけ、読んでみました。
 以下は大まかなサマリーです。

A Companion to Ethics (Blackwell Companions to Philosophy)

A Companion to Ethics (Blackwell Companions to Philosophy)

31章 ビジネス・エシックス (ロバート・ソロモン著)
1 はじめに
 ビジネスエシックスの学問的歴史は大変短い。というのも、ビジネスがあまりに日常的で欲望に関係する領域であるため、哲学は関心を示してこなかった。しかし応用倫理学の発展などを通じて哲学が現実の問題に関心を寄せるに従い、ビジネス・エシックスも発展してきた。

2 ビジネス・エシックスの歴史
 ビジネス・エシックスが問題になった最初期の議論として、アリストテレスによるものが知られている。彼は経済を二つに分類した。一つはoikonomikos(家庭に関する交易)−これは必要なものとして是認していた−、もう一つはchrematisike(利益追求のための交易)−この活動には徳がなく、社会の「寄生虫」だと考えていた。そうした彼の思想は17世紀まで影響を与えることになり、カトリック教会も後者の類の仕事を批判していたため、たとえば高利貸しなどの職業は社会のアウトサイダーによって行われていた。
 しかしカルヴァンが倹約を美徳とし財産の蓄積を認めたことと、アダム・スミス国富論の出版で流れが変わった。その後の資本主義の発展の中で、一部の実業家がノーブレスオブリージュの重要性を説くことはあったが体系化することはなかった。一方ビジネスの倫理的な問題を重視していたのは、主として社会主義者であった。

3 利益追求の神話
 企業活動にはいくつか神話がある。たとえば、「企業は利益ばかりを貪欲に追求して、けしからん」といったものだ。しかし実際は利益を生むためには、品質の高い商品を生み、サービスを提供し、社員を雇用し、コミュニティと協調しなくてはならない。利益だけを追求しようとすれば、結果として社会とのトラブルを引き起こす。
 また「経営者は、株主の利益を最大限にすることが最高の義務だ」という神話がある。しかし投資家は自己の利益を最大限にすることだけをのぞむわけではない。社会人としての責任やプライドを持っている。利益の最大化は、あくまでビジネスの目的の一つにしか過ぎない。そしてそれは手段であり、それ自体が目的ではない。一方会社の株を買い占めるファンドなどが「株主の権利」ばかりを主張する場合があるが、しかし株主は権利を持つ一方責任ももち、そうした権利と責任はより大きな社会的文脈の中でのみ意味をアタえらえる。社会的意義を欠いた主張は認められるものではない。
 ビジネスの世界を織りなす動機は、「利益の最大化」だけではなく、社会に貢献しよう、良い商品を作ろう、といったものも含まれている。利益追求だけに単純化した議論は、誤っている。

4 他のビジネスの神話とメタファー
 他のメタファーとして「ビジネスは食うか食われるかの世界」というのがある。確かにビジネスは競争だ。しかし一方でビジネスは協同でもある。
 さらに別のメタファー、「経済活動は個人と個人の関係であり、社会は関係ない」というものがある。しかし現代の経済においては協同作業という側面が必ず存在する。ビジネスは社会的活動であり、個人と個人の関係ではなく、より広いルールや倫理というものの基盤の上に成立しているものだ。
 そう考えると、ビジネス界を理解するメタファーとして最適なのは「corporate culture」という概念である。人と人とのつながりの中でビジネスは成立しており、またより全体的な文化と切り離せるものではないという点をよく表している。

5 ミクロ倫理、マクロ倫理、モル倫理(molar ethics)
 ビジネスにおける倫理は、その対象から三つに分けることができる。
 個人同士の経済関係において問われる倫理:ミクロ倫理
 より全体的なビジネスの倫理:マクロ倫理(例、自由市場の妥当性、市場における公正とは)
 経済活動の主要な単位である企業における倫理:モル倫理

6 社会における企業:社会的責任
 近年は、企業の「社会的責任」ということが言われるようになってきている。しかし一方でこの概念は、伝統的な自由市場支持者の批判の的にもなってきている。彼らは、企業の経営者は株主の利益を最大化することが役割であって、慈善事業や他の社会的な役割に金を使うというのは、株主から金を盗んでいるようなものだ、という。
 そうした考えの問題点は既に述べた。そしてそうした考えへの対案として、stockholderの利益の最大化だけをめざすのでなく、企業のstakeholder−株主だけでなく、被雇用者や消費者、とりまくコミュニティや社会も含めた受益者全体−の利益を最大化することを目指すことが重要だ、という見解が一般に受け入れられるようになってきている。

7 ステークホルダーへの義務:消費者とコミュニティ
 経営者はステークホルダー全体に対して義務を有する。たとえば企業活動によって公害を引き起こしたり、欠陥商品を提供したりしないようにしなくてはならない。また正しい利用をしてもらえるように説明しなくてはならない。しかし消費者にも責任がある。たとえば商品を本当に馬鹿げた使用法をしてけがをした場合、消費者の責任が問われる。

8 企業の中の個人:責任と期待
 企業では、職員がモノとして扱われがちだ。そこで労働者の権利の問題についても考える必要がある。また内部告発を行うことの倫理的妥当性についても検討する必要もある。


 この著者は、株主至上主義的な立場の意見に対して随分牽制する発言を行っている。一つには、こうした発言をかなり積極的に行わなくてはならないほど「物言う株主」が力を持ってきているのだろう。
 また企業の社会的責任という概念についてもかなり積極的に擁護しているが、これもまた一部の経済学者などがかなり噛みついているのだろう。
 ただ人間存在の間主観性を考慮に入れて言うならば、社会と企業は関係を断つことはできないものであり、企業は社会から、逆に社会は企業から大きな影響を受けているのは確かだろう。だとすれば、その社会に存在する一般的な倫理原則と背離するのでなく、可能な限りそれと調和した企業活動が行われなくてはならないと考えるべきだろう。ということは、たとえば欧米における企業倫理を基準にして日本の企業倫理を一方的に批判しても、あまり意味はないということにもなる。海外の倫理とすりあわせをしつつも、日本的な特徴をいかした企業の倫理というものを作り上げ、それを海外にアピールするという道もあるのだろう。

 ただ、現時点ではあまり医療や心理療法と、このビジネス・エシックスとをつなげて考えるに到っていない。さらに勉強を続けよう。