Stephen A. Mitchell and Margaret J. Black著『Freud and Beyond』

 
 ミッチェルの『関係精神分析の視座』が存外に面白かったので、彼の次の著書も手に取ってみた。

Freud and Beyond: A History of Modern Psychoanalytic Thought
Freud and Beyond: A History of Modern Psychoanalytic ThoughtStephen A. Mitchell

Basic Books 1996-08-08
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 タイトルはFreud and Beyond。1995年刊。邦訳は出ていない。
 妻Margaret Blackとの共著であるこの本は、過去の主要な精神分析家と理論とをコンパクトに紹介した一冊であり、一般読者を対象に書かれた精神分析の入門書である。それゆえ、彼独自の考えを披瀝した独創的な仕事というわけではない。しかし精神分析の達成から広く学ぼうとする一般読者にとっては、これまでの著作にも貫かれていた彼の多様な学派に対する開かれた公平で誠実な態度ゆえに、等しく各学派の成果に触れることのできる質の高い入門書となっている。

 目次は以下のようになっている。

1 フロイトと古典的精神分析の伝統
2 自我心理学
3 サリヴァンと対人関係論
4 メラニー・クラインと現代クライン派理論
5 英国対象関係論学派:フェアバーンウィニコット
6 アイデンティティと自己の心理学:エリクソンコフート
7 現代フロイト派の革新者:カーンバーグ、シェイファー、レーヴァルト、ラカン
8 理論に関する論争
9 技法に関する論争

 日本では最近は関心があまり向けられないハルトマンやスピッツ、クリス、ジェイコブソンといった自我心理学派の分析家や、サリヴァンをはじめとする対人関係論の分析家についても十分な解説を行い、次に英国のクライン、ビオン、フェアバーンウィニコット、そして自我心理学から派生した分析家の中で特にエリクソンコフートに注目した後、ミッチェルが高く評価するレーヴァルト、アメリカでは触れられることの少ないラカン、などについても非常にわかりやすく適切な説明が行われている。
 とりあげた分析家について紹介する際の彼の作法は、まず一人一人の主張をていねいに追い、以前の分析家と主張がどのように異なるかを明確にし、さらに彼らの主張の中にある次世代の理論的展開の萌芽に注意を促した後に、次の分析家の説明に移っていくように心がけられている。そのためこの本を読めば、各分析家の理論がよくわかるだけでなく、彼らの間の連関がどのようになっているのかを把握しながら、精神分析が遂げてきた弁証法的発展の過程の全体像を体系的に理解することができる。
 専門家向けであった著作『精神分析理論の展開―欲動から関係へ』に比べても、一般読者を対象としているためもあって、説明がよくかみ砕かれており、かつ具体的な事例と関連づけながら説明されていくので、とても読みやすい。

 何より全編を通して印象深いのは、(上でも述べたが)彼の(そして妻にも共有されているであろう)多様な思想に対する開かれた態度である。彼は、精神分析を絶対視したり、党派化し秘教化しようとしがちな精神分析家たちの閉じた態度に抵抗し、そして古典的なフロイトの主張のみを「精神分析」とみなして、その後の発展には注意を払おうともしない一般読者たちの態度にも抵抗する。こうした姿勢の背後には、異なる学派の意見であってもそこから真摯に学ぼうとすれば、どんな立場の治療者も必ず得るところがあるはずであり、そして精神分析の枠外にいる多くの人たちにとっても近年の精神分析の発展から学ぶことによって、よりよい人生をおくることに必ず役立つはずだ、と考える彼の確信がある。

 邦訳出版されていないので日本の入門者には手が出しにくいかもしれないが、彼の文章は論旨が明晰であるため大変読みやすい英文となっており、良質の精神分析入門書を英語で読むチャレンジをしてみたい、と思う人にとっては格好のテキストだ。初心者の抄読会ピースとしても適した本だと言えそうだ。

メモ

(p148)
 In Freud's framework, the individual is pushed by the drives; in Erikson's framework, the individual is pushed by the drives and pulled by social institutions. "Something in the ego process, then, and something in the social process is - well, identical" (1968,p224)