自己決定、真率さ、死ぬ権利
業務や診療の合間を縫って、「DNAR指示」についてひたすら考えをまとめていく。「患者の自己決定」は何にも勝るプライオリティを有しているわけではない。Autonomyに依拠せず、考えをまとめること。
今日の昼、ふと想起したこと。
精神分析学会で、ある知人と3年ぶりに再開した。私のことを「気がかりでいた」のだと言ってくれる、その真率さに心が打たれた。しかしその一方で、彼が私へ寄せる期待に多分私が応えておらず、また彼とは指向性が違うことを私はよく理解しているが、多分彼は誤解しており、それを思うと少し心が塞いだ。しかし指向性の違いを彼が理解したとしても、彼は関心を寄せていてくれるであろうと、信頼できる気もした。
信頼を寄せるにたる彼の真率さはいったいどこから来るのだろう。そしてその真率さは、治療者として重要な要素であるはずだ。
夜、『良い死』さらに読み進め、立岩氏の濃密な思考を追っていく。
と、同時に香川知晶氏『死ぬ権利』を読み始める。カレン・アン・クインラン事件の歴史を詳細にまとめた本。一般に語られるクインラン事件の筋書きが、いかに単純化されたものかがよくわかる。それとともにいま一般に信じられている倫理原則を相対化する目を与えてくれる気がする。