『思春期レクチャー』終了、そして山上千鶴子氏

 「思春期レクチャー」終了した。非常に熱心に聴講していただき嬉しかった。レクチャーの構成をせっかくだから書き残しておこう。
 まず最初に、昔の思春期と今の思春期の社会的意味がどのように異なっていたのか、という歴史的考察を行った。そして、思春期の心理的課題は一般的な言葉でいえば「親離れ」(親からすれば「子離れ」)にあることを確認し、その「親離れ」の内的な意味を説明した。すなわち、子どもが思春期を歩んでいく中で、心理的には幼児期の親子関係と、親自身の親(すなわち祖父母)との関係などが重層的に展開していくことになるが、そのなかで子どもが外的対象の親だけでなく、内的対象としての親と対決し、和解していく必要があり、その際同時に、親自身も自らの自立と依存の葛藤に再直面することになると説明した。そうした相互的な関係性の中で、親と子がパラレルに成長していく/いかない様を、実例をあげつつ可能な限りかみ砕いて説明した。こう書くと何か難しそうだが、実際はとにかくわかりやすさに徹して、くだらないネタをいろいろと交えながら一生懸命話した。
 仕込んでいたネタのところではほぼ確実に笑ってもらえた。小確幸。それだけでなく、自分の問題と重ね合わせて真剣に聞いていただいたようで、感想文を読むと、「親としての自分を振り返ることができた」、「自分のあり方をみなおしていきたい」と非常に好意的な反応を示してくださった。聞く人たちの中の情緒が動くことが大切だと思っているので、どうやらその目標は達成できたらしい。「がんばってよかった」、と静かな感激。
 次はまた2週間後だが、今度は「現代の家族」というテーマ。とりあえず家族に関する本を机の上に積み上げた。よーし、『いま俺、やるっきゃない』by近藤真彦

 『The Kleinian Development』の3部を読んだ後、メルツァーの全体像を把握する必要を感じ、『入門メルツァーの精神分析論考―フロイト・クライン・ビオンからの系譜』へ。イタリア語版が2001年刊。英語版が2002年。邦訳が出版された当時に話題になっていた山上千鶴子氏の解題をはじめて読む。まいったね、これは。氏の言葉から沸き立つエネルギーは圧倒的だ。この企画を成功させた訳者の木部則雄氏と脇谷順子氏は、「編集者」として大ホームランだろう。
 また山上氏の訳も、かなり思い切ったものだ。たとえば、
英語版P96

Donald Meltzer: I was very naive and romantic. The fact that it has preserved is a function of psychoanalysis.

日本語版p100

D.M. 私は感じやすく、夢を追いがちなところがありましてね。まあ天真爛漫というか直情径行ですかな。そんな私がそのままに変わることなく、これまでどうにかやって来られたのは、実に精神分析のお陰と言えるわけですよ。

 この自由さ。融通無碍というか天衣無縫というか。やるなー。