ピカソを見にいく。

 本日は幕張で開催の総合病院精神医学会へ。
 シンポジウム「総合病院精神医療の倫理綱領作成に向けて」は大変勉強になった。とりわけ慶応義塾大学文学部の奈良雅俊先生のご発表に大いに啓発された。ランチョンセミナーは「ADHDの病態と治療」。齋藤卓弥先生。医学的知見、診断、治療についてコンパクトにまとまった講演。午後は「認知症」関連の演題へ参加。目を見張る知見が得られるわけではないが、どの病院でも誠実に地道に患者さんの治療にあたっておられることがよくわかる発表が多かった。そうした努力を知るだけで励みになる。

 夕刻、幕張を出て八丁堀で日比谷線に乗り換え六本木へ向かう。まず国立新美術館の「巨匠ピカソ」展へ。これはすばらしい展覧会だ。今までピカソを「点」でしか把握できていなかったが、今回の展覧会では「面」までは行かなくとも、少なくとも「線」で把握できるからだ。経年的に彼の仕事をたどれることから、いわゆる青の時代から始まった彼の芸術表現が、分割と統合を繰り返しながら表現が「彼そのもの」へと変化していく様がよく見て取れ、その表現形式を変化させざるをえなかった彼の内的必然性をわずかながらでも追体験できるところが今回のピカソ展の決定的にすばらしい点だ。必見。
 その後、国立新美術館を出て東京ミッドタウンへ移動し、サントリー美術館で「ピカソ展」を引き続き見て、その後ミッドタウンの見物。この東京ミッドタウンの建築は大変洗練されている。中でもサントリー美術館の美しさは群を抜いていて、連子を効果的に用いて様式化された日本的意匠が、その場所にいる人間も心も端正にしてくれるようで、そこに存在すること自体が快感となる。設計は隈研吾。刮目に値する建築家だ。ここと比較すると国立新美術館黒川紀章の設計がとても陳腐なものに思えてしまう。もうコルビュジェの世紀は終わった。

 さらに六本木ヒルズへ向かい、そこで高校時代の友人と10数年ぶりの再開。ヒルズに入居している外資投資銀行で勤務している彼は、先日行われた解雇の様子を教えてくれた。朝に突然解雇対象者のデスクに上司が来てコンピュータの電源を落とす。対象者達は別室で解雇を告げられ、それ以後彼らは二度と職場に現れることはなかった。そして私物は段ボールにまとめられ、自宅に送られた。そんな解雇の様子をリアルに教えてくれた。厳しい。
 そんな中でも生き残っている彼はよくやっている。高校時代、同じ下宿で過ごした仲間だが、いまでは全く違う世界に生きていることが不思議な気がする。でも違うやり方だけれども、社会へ貢献したいという点ではつながっていることもよくわかった。彼も必死でやっている。自分もがんばらねば。

 読書は松木邦裕、東中園聡編、『精神病の精神分析的アプローチ―その実際と今日的意義』。2008年7月刊。著者達の地道な努力には敬意を払いたいが、こういう形で医療の中で精神分析的臨床が展開されることには危うさを感じる。問題含みの本であり、批判的に読まれなくてはならない一冊だ。
 江藤淳著『アメリカと私』。1965年刊。江藤の自己愛の傷つきとそれを必死で乗り越えようとする努力がなまなましく描かれ、ひきこまれつつも苦しい思いでページを繰る。それだけ切実な思いで書かれた作品だったのだろう。