患者の暴力について

 今日はきわめてプラクティカルな話。
 最近、患者、家族からの暴力(暴行、暴言など)が医療現場では問題になっている。あまり良い言葉ではないが、いわゆる「モンスター・ペイシェント」の問題だ。これは医師だけでなく、看護師、事務職員など医療現場に携わる全ての人にとっての脅威となっており、「医療崩壊」と呼ばれる現象の一つの原因となっている。 
 これがなぜ問題かというと、そもそも医療機関はケアの原理で動いており、人間の弱い部分を職員が受けとめることを通じて患者に前向きな変化が生じることを期待して営まれている。自己抑制的な社会構造の中ではこうした病院のあり方は、合目的的であったと考えられる。しかし消費社会の発展の中で、幼児的な欲求を主張することが一定の正当性をもった結果、医療や教育に対しても非現実的な要求を主張することが当然視されるようになった。それに対して、過去のケアのあり方に適応してきた医療職は、時代に即応して変わることができず、本来、受けとめてはいけないような非常識な要求にさえ、とりあえず応えようとしてしまう。その結果、患者の自己愛的な傾向が助長され、患者の主体的な情緒的体験の機会、すなわち成長の機会が失われて反治療的な結果がもたらされることにつながっているようにみえる。
 だから患者の攻撃性に対しては、母性原理に基づいた援助だけでなく、父性原理に基づいて切断も辞さない管理的な介入が必要なはずである。そうすることが職員の身体的、心理的安全を守るだけでなく、患者の成長を促すという点で治療的観点からも望ましいと考えられるからだ。
 しかしこれがなかなか難しい。たとえば脅迫的な言動を繰り返す患者に対して、「この患者は診察しない」と決断しようとしても、それを妨げる二つの障壁−一つは拒否することに罪悪感を抱いてしまうという心理的障壁、もう一つが医師法第19条に定められた「医師の応召義務」という法的障壁ーがあるからだ。こうした障壁が複雑に絡み合う中で職員は長期的な視点を持ち得なくなり、目の前の暴力を前にして妥当な対応が困難となり、身動きがとれなくなっていく場合が多い。だから理想的には、一人一人の職員が、人間心理や法などの視点を含めた全体的観点を回復することがまず大切であり、その上で各事例を把握し、実際的な対策を取ることが求められることになる。
 しかし全職員がそうした作業を主体的に行うことは時間的、感情的にまったく困難である。だから満足のいくものでなくともおおむね妥当な対処が病院組織としてとれるように、各病院の治療文化に照らした内容での、「暴力」に関するガイドラインを作成し、それに基づいた対応をとることが有用となる。
 それはどの病院も分かってはいるはずだ。でも何もないところからガイドラインを作るのは大変である。しかし他所の病院から借りてきて「ガイドライン」としてみても、その病院の治療文化に対応できていないため実際的な有用性は乏しいもとのなる。
 こうした状況を鑑みれば、一般職員でも理解可能で、かつ汎用性の高い、暴力の対応について書かれた日本語のいい本があるとよいと思っていた。それで先日、「医療安全」の専門の方と話をしていたら、一冊の本を紹介していただいた。
 メディカルビュー社から本年7月に刊行された新刊『ストップ!病医院の暴言・暴力対策ハンドブック』という本だ。
 マニュアル本だし、その内容を要約することは問題があると思うので行わないが、実際的情報が豊富でなかなか有用なつくりになっている。法、人間心理、病院組織、教育、訓練といった項目についてはばひろくわかりやすい知識が得られるのが良い。

 ただあくまでマニュアル的な本なので、なぜ患者の暴力が問題になってきたのか、この本であげられている対応をとることがなぜ有用なのか、という点などの人間心理の原理的理解に関する記述は弱い。こうした領域でも、精神分析的な理解に基づいた分かりやすい説明を行えば、すごく役に立つように思う。

 ところでこの本を読んで、こうした領域で活動されている臨床心理の方がいらっしゃることを初めて知った。新福知子さんという方。米国の暴力対策プログラムの勉強をしてこられ、現在は日本で事業化して活動しておられるおられるようだ。心理職の方々の活躍の場所と方法は、本当はすごく広い可能性をもっているのだと思う。

 なお、暴力関係の資料として、二、三有用なサイトを挙げておく。
看護協会作成の指針 
船橋市立医療センターの暴力対策マニュアル