泣いて馬謖を斬る−年末恒例、蔵書の大処分

今日は大掃除。「今年の汚れ、今年のうちに」とばかり、家族総出で床から窓から鴨居から全部まとめて家中ぴかぴかだ。ああ、気持ちがいい。
 その後は、もう不要になった本の処分にうつる。私は活字中毒なので、本を処分しないで放っておくと家の中にどんどん増殖していってしまうのだ。本屋で買う単行本だけでなく、送られてくる学会誌や学術誌もあるものだから、少しでも空きスペースがあると知らない間に本が家の隙間という隙間を侵食していく。
 当然ではあるが、家族には大不評である。本を買ってくる度に、私の背中には家族の冷たい視線が突き刺さる。それはそれで結構苦しい。だから、ときには家族の意向に従う素振りを見せねばならないのだ。
 年末ということで、もう読まないだろう本をざんざか処分していく。「泣いて馬謖を斬る」とはこのことか。懐かしい本も、読み応えのある本もあるが、もう読まないだろう、使用しないだろう蔵書は全て処分だ。段ボール箱を用意して、書棚にある馬謖という馬謖を全て、えいやっ、と気合いをいれつつ斬って、斬って、斬りまくる。本が放り込まれた段ボール箱からは「売らないで!」「やめて」「この人でなし!」という声が聞こえ、おのれの業の深さに慄然とするが、心を鬼にして処分、処分。(ちょっと、オーバーだな)
 その後、段ボール箱を自家用車に乗せてBookOffへ。同じような境遇のお父さん達がつめかけているのか、買い取り計算の待ち時間がすごく長い。やむなく、店内でめぼしい本を読みまくる。まず知人から推薦されていた漫画『バガボンド』を一気読み。物語の力というより、画力とコマ割りの力業で読ませていく作品だった。この本に魅力を感じる人の気持ちは良くわかる。その後、『ブラックジャックによろしく精神科医療編にも目を通した。これは、ちょっとドラマティックに誇張しすぎで感心しなかった。そして、まだ時間があるので香山リカさんの本から『いまどきの「常識」』と『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』をざっと流し読み。前回「家族という病」という本だけでは感じ取れなかった著者の美質が理解できた。現在社会の心理的問題を誰よりも早く切り取って、とにかく形を与えることを続けておられるのだ。本の寿命は短いものが多いだろうが、炭坑のカナリアのようなこうした仕事もまた必要なのだろう。
 などなど考えながら本を漁っていると「番号札5番の方」とようやく呼ばれたので、買い取りカウンターへ赴く。片桐はいり似の女性店員さんが「買い取り合計はこれだけになります」いって提示した金額は、、、本当に雀の涙。悲しい。。。断腸の思いで別れを決めた本たちに、この金額とはあまりにも無情ではないか。と怒りと悲しみがないまぜになったような思いでうつむいていると、片桐はいりが下からのぞき込むようにして「この額でよろしいでしょうか」と言う。私は力なく「はい」と返事する他ない。震える手でサインをする。そしてお金を受け取り、カウンターを離れた。ふと気になってふりかえり、本に向かって「おーい、本たち、元気でやるんだぞ。次のご主人のもとでも、しっかり尽くすんだぞ」などと心の中で叫んだ。(これまたオーバーだな)
 別れの悲しみに胸ふさがれる思いで、足取り重く帰途につく。ああ、この悲しみを紛らわせる方法はないのか。
 そうだ、一つ良い方法を思いついた。
 簡単なことだ、また本を買えばいいんだ。
 ということで、明日は本屋に買い出しに行くことにした。よーし、リターンマッチだ!って、いったい何のリターンなのか自分でもよくわからないが、とにかく県下で一番の品揃えの本屋にいくことに。決戦の日を明日に控えて体調を整えるべく、今日は早めの就寝。