鈴木大拙著『日本的霊性』を読む。

 「ニコマコス倫理学」を終えて、鈴木大拙著『日本的霊性』へ。昭和19年12月、著者74才のときに出版された一冊だ。
 まず、なぜ「日本的霊性」を選んだのか、書いておく。
 全ての心理療法は、何らかの価値を志向した営為である。だから通常意識されることはなくとも、そこには倫理的、霊的な側面が必ず存在している。一方、心理療法で出会う人たちは普通の人たちであり、治療者も同様である。アレテーを実現しているような人たちではない。
 アリストテレスの考えに従えば、すぐれた人のみが真の幸福(エウダイモニア)に達することができる、ということになる。しかし本当にそうだろうか。私が出会う人や、共に働いている人たちは、私も含めてアリストテレスの考える「すぐれた人」とは言えないが、それでもそうした人の多くは、誠実に仕事をして、おおむね幸福な人生を送っている。しかしアリストテレスの考えには、そうした人たちの人生は価値が低いという含みがある。治療に携わる者としては、この点ゆえに彼の理論に満足できない。なぜなら現代日本で治療を行っている限り、エリートでないような普通の人でも新たな成長を遂げる機会を提供することが大切だからだ。
 私が親鸞にこだわる−前にも親鸞について親鸞と罪悪感についてと題して論じた−理由はここにある。すなわち、凡夫でも悪人でも救われる道を考えた親鸞の思想は、われわれの臨床の霊的側面の意味を理解する上でとても重要なことを教えてくれるはずだと、期待しているからだ。
 それで真宗(と禅)のことを高く評価した鈴木大拙のロジックを追いたくて、『日本的霊性』を選んだ、というわけだ。

 さて、この本の中心の主張は、以下の一節に集約されている。

初めに日本民族の中に日本的霊性が存在していて、その霊性がたまたま仏教的なものに逢着して、自分のうちから、その本来具有底を顕現したということに考えたいのである。(p65)

 そして、この顕現がはっきりと生じたのが鎌倉時代、特に親鸞禅宗においてであると考えている。
 彼は平安時代については、基本的に公卿趣味の文化で大地に根ざしておらず、それゆえ霊性を顕現させることはできなかった、と極めて低い評価を与えており、一方で鎌倉時代武家社会については、それが大地に根を持っていたがゆえに鎌倉文化に生命の霊が宿り、宗教にも大地的霊性が現れたのだと、極めて高く評価している。そしてその具体的顕現が親鸞であり、後の禅の興隆であったのだという。このうち浄土真宗について、それが広く日本人の心に食い入った理由を「純粋他力と大悲力」(p56)の要素ゆえだといい、浄土思想は重要視していない。親鸞は純粋他力を通じて、「まこと」に触れることができたのだという。自らの力ではなく他力に身を委ねることによって、個己を離れ、超個の人になるのだといい、ここに「孤住独行性」(p99)をはらんだ「一人」が生じるのであり、この「一人」は大地によって象徴されるのだという(p98)。

 なお彼は、浄土真宗と禅の違いを次の点に見ている。

 ここに真宗的または浄土系的日本的霊性と禅的日本霊性との動きに、相異った方向または方面を認めることができる。前者はいつも個己の方向に超個の人を見、後者は超個の人の方向に個己を見るのである。(p87)

 ただいずれにせよ、

 超個の人(これを「超個己」と言っておく)が個己の一人一人であり、この一人一人が超個の人にほかならぬという自覚は、日本的霊性でのみ経験せられた(p87)

のだという。

 こうした宗教的経験を経た門徒を「妙好人」と呼び、彼はそうした人に非常な感心を寄せて詳しい研究を行っている。この本では「赤尾の道宗」と「浅原才市」の二人の宗教体験について論じているが、彼の著書『宗教経験の事実』では、「讃岐の庄松」という妙好人の信仰についてより詳しい説明を行っている。

 と、簡単にまとめたが、鈴木大拙の主張は平安への低い評価や、「日本的」なるものへ同一化した彼自身への自己愛から自由でない点など、不満を覚える点はある。が、総じて納得できる論旨であった。
 しかし問題は、妙好人の言行を読んでも「立派な人」だという感じがしないという点にある。たとえば彼が『宗教経験の事実』で紹介している『庄松言行録』収載のエピソード

 ・・・庄松、平常縄をなひ、或は草履を造りなど致し居て、ふと御慈悲の事を思出すと所作を抛ち、座上に飛びあがり、立ながら、仏壇の御障子をおし開き、御本尊に向ひて曰く、「ばあばあ」。・・・(p119)

 御本尊に「ばあ」とやるのがどうして偉いのか。言行録の解説では「大慈悲の御尊容、御なつかしく思い立なり、所謂親は子供の寝面に見とれ、問はず物語の体にて、独言に喜ばれたるの体なり」とあるが、うーん、やっぱり納得できない。これはこちらの理解が浅いせいなのか?あるいは鈴木大拙妙好人を買いかぶりすぎているのか?