再びDNAR指示について考えていく

 その後、DNAR指示について考えている。
 どうして精神科医がこんな問題を考えるのか、不思議に思われるかもしれない。
 でも私にとっては重要な問題だ。
 それは、一つに精神障害をもった患者さんの判断能力を検討する際によく用いられるキーワードであるautonomyという概念に、深く関わる臨床的課題であるからである。自己決定、自律と訳されるこの概念に最大のプライオリティをおいて議論を進める、現代の欧米の医療倫理のあり方が、どうしても信頼できない。
 そしてautonomyの力を欠いている、すなわち意思決定能力がないとされる人が、他者によって「QOLが低い」と判断されて、延命治療の差し控えが許容されるロジックが次第に力を持ち始めている。が、この意見を、私はどうしても首肯できない。
 「理屈ではそうかもしれない、でもそのロジックにはどうしても納得できないぞ」、という感覚に正直であろうとすること。それを大切にするべきだというのは、精神分析の知恵が教えてくれた教訓である。だからこだわっているのだ。
 そしてまた精神分析の価値を大切だと思う私が、autonomyに依拠した安楽死の正当化のロジックに違和感を覚えるということは、その二つの思考の間に内的つながりがあるはずだということだ。そのつながりを明らかにすることが、精神分析的な価値を大切にしている精神科医としての私と、重度の精神障害を持つ患者を支える臨床を行っている精神科医と私、との間の統合を保つ上で重要な課題だと考えている。だからこだわっているのだ。

 とはいえ、これを考えることはとても難しい。というのは、autonomyといった概念について日本語で精神分析的に考察した論文があまりないからである。言葉がないところで考えていくというのは、なかなか大変である。(ただし欧米には数少ないがそういう分析家がいる。この人たちの仕事については、また改めてエントリーをあげたい)

 ということで、いろいろ読んで考えていくしかないわけだが、とりあえず今日は以下のような本の該当箇所をチェックした。浅井篤他著『医療倫理』(勁草書房)、AHAのガイドライン原文と照らし合わせつつ日本語版である『AHA心肺蘇生と救急心血管治療のためのガイドライン 日本語版〈2005〉』を確認。さらに『救急蘇生法の指針 2005 改訂3版―医療従事者用 (2005)』。それとこれらのガイドラインで引用されている代表的な医学論文をいくつかチェック。

 少しずつ考えをまとめていく。