ザビーナ・シュピールラインの人生とユング

 この間、『精神分析療法の道』を素材にして禁欲原則について考えている。過去のエントリーはこちら。
フロイトS.Freud著『精神分析療法の道』を読む - Gabbardの演習林−心理療法・精神医療の雑記帳
フロイトS.Freud著『精神分析療法の道』を読む(2) - Gabbardの演習林−心理療法・精神医療の雑記帳
フロイトS.Freud著『精神分析療法の道』を読む(3) - Gabbardの演習林−心理療法・精神医療の雑記帳
 今回はちょっと論文を離れて、ザビーナ・シュピールラインについてまとめておく。
 なぜシュピールラインか。前回までで、「禁欲原則」のリビドー論に基づいた治療的正当化には無理があることを確認した。しかし、だからといってフロイトが批判した「スイス学派」的な治療が正当化されることにはならない。この「スイス学派」はユングのことを指しているから、ユングの治療について、また別にその妥当性を検討する必要があることになる。
 ただユングの治療を一般的に論じるのはなかなか難しい、というより私の能力を超えることなので、ここではユングによるザビーナ・シュピールラインの治療について考えることにしたい。この事例を取り上げるのは、この治療で生じたスキャンダルにフロイトが深く巻き込まれ、その体験がユングへの批判を決定づけたためである。
 ということで、ユングシュピールライン、フロイトの関係を振り返るために、アルド・カロテヌート著『秘密のシンメトリー―ユング・シュピールライン・フロイト』や以下の資料を参考に、シュピールラインの治療をまとめることにしたい。(非常に有名なエピソードですので、以下にあげるようにすでに沢山ネット上に資料があります。ただ、今回は自分のためにまとめるということで)

Wikipedia(英語)
World's people blog (シュピールラインの写真あり)
映画『Ich hiess Sabina Spielrein』のホームページ
ピーター・ゲイの『フロイト』の訳者、鈴木晶先生によるシュピールラインの論文

(以下の文中のページはこの『秘密のシンメトリー』から)
 ザビーナ・シュピールラインはユダヤ人。1885年にロシアのロストフ=ナ=ドヌで出生した。幼児期から神経症的傾向があり、18才になると「抑鬱の発作と、泣いたり笑ったり叫んだりするという発作」(p245)が出現するようになった。そこで女学校を卒業した後、両親は彼女をチューリヒに送り出して、そこで医学を学ばせるとともに、治療を受けさせることにした。
 シュピールラインは1904年にブルクヘルツリ精神病院に入院したが、そこでユングの治療を受けることになる。彼の治療を受ける中で彼女は回復し、翌年に退院。その後1905年にチューリヒ大学の医学部に入学するまでに回復した。在学中もユングの治療を受け続け、ユングの援助により論文も完成させ1911年に学位を取得し卒業することができた(p248)。彼女はその後チューリヒを去ってウィーンへ赴き、精神分析協会の集まりに参加するようになり(p260)、1911年11月25日には「死の本能」を提唱する発表を行うなど、のちのフロイト理論に吸収されることになるような重要な主張を行った。
 彼女はその後ベルリンに移り、ユダヤ人医師と結婚。1923年にはロシアへ帰国しモスクワで自由な教育を重視した幼稚園を開設した。その後、故郷ロストフへ戻り、子どもを対象にした精神病院を設立して診療にあたる傍ら、大学で教鞭をとった。しかし1936年にソビエトでは精神分析が禁止され、その後、彼女の兄弟もスターリンによってパージされるなど困難な状況に置かれることになった。
 その後もさらなる困難がのしかかる。1938年には夫がパージされる。さらに1941年には彼女の住んでいたロストフが、ナチスドイツの占領下に置かれてしまう。ユダヤ人であった彼女にとっては、死の危険を強く感じたことだろう。この地にすんでいた多くのユダヤ人は、ナチスドイツの支配を逃れようとこの土地から脱出した。しかし、彼女はあえてロストフを離れなかった。
 そして1942年8月、ユダヤ教の集会に参加していたシュピールラインは二人の娘とともに、ナチスによって殺害され、57年の生涯を終えた。

 以上が、彼女に関する具体的な事実である。こうした事実だけを追うと、ユングの適切な治療によって順調に回復し、社会に十全に適応できたように見える。しかし実際は、ユングとの治療は重大な問題を孕んだものであった。この点について、次回に触れる。
 それと一つ、不思議な点がある。シュピールラインは、ナチスの支配から脱出することが可能であったにもかかわらず、あえてロストフを離れなかった。そして悲惨な最期を遂げることになった。いったいなぜ彼女はナチスの支配から逃れなかったのだろうか。

 ということで、明日(?)へ続く。