ロスタン著『シラノ・ド・ベルジュラック』を読む

 光文社古典新訳文庫におさめられている、渡辺守章氏の訳でシラノ・ド・ベルジュラック を読んだ。
 原書は1897年刊。この新訳は2008年刊。
 文句なしの一冊だ。
 大きな鼻をもった醜い容貌の主人公、シラノ。
 シラノは自分の大きな鼻ゆえに、強い劣等感を持っている。
 しかし巻頭間もなく登場する時には、大見得を切って長広舌をふるう。しかしその勢いの良さの背後から見え隠れする、弱々しい自己。このアンバランスさが孕む喜劇性が、この新訳のリズムの良さと相俟って、おかしさを醸し出していく。
 たとえば第二幕、第九場。シラノの鼻の大きさをねたにして、クリスチャンとかけあいをする次の一節。

シラノ    ・・・例の無鉄砲から向こう見ずに・・・
クリスチャン 鼻を突っ込み・・・
シラノ    違う、口だ!他人のけんかに口を突っ込み・・・
       闇のなかから曲者一人! ござんなれと・・・
クリスチャン 鼻であしらい。
シラノ    はっしと受け止め、互いに見交わす・・・
クリスチャン 鼻と鼻・・・
シラノ    いい加減にしろ!
(p163)

 このリズミカルなかけあいは、漫才を思わせるおもしろさだ。
 しかし、こうした序盤の滑稽さは、次第に悲しみの色を帯びていくことになる。
 たとえば第三幕、「ロクサーヌ接吻の場」。クリスチャンのために、彼の声色をまねてロクサーヌに愛を語るシラノ。この喜劇的な設定の背後から、シラノのせつなさが次第に伝わってくる。「この醜い鼻を持つ自分が、ロクサーヌに愛されることなどありえない」。そう思いつつも、クリスチャンの姿を借りて自らの慕情を表現する彼のいじらしさが、胸をうつ。
 この本が古典として今も生き続ける理由は、人間の喜劇性と悲劇性との輻輳が、シラノという実に魅力的な主人公に仮託されて、うまく表現されている点にある。だからこそ観客は、自らも有する「おかしさ」と「かなしさ」とをシラノに投影して、笑い、涙してしまうのだ。

シラノ・ド・ベルジュラック (光文社古典新訳文庫)
シラノ・ド・ベルジュラック (光文社古典新訳文庫)Edmond Rostand

光文社 2008-11-11
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おすすめ平均 star
starシラノの心意気
star結ばれない運命
star韻文を踏まえた切れのよい日本語に