プラトン著『パイドン』を読む

 プラトン著、『パイドン』を読んだ。岩田靖夫氏の訳になる、1998年の岩波文庫版で。
 死刑直前に、ソクラテスが弟子達とかわした「魂の不死」についての対話を描いた本。
 ソクラテスが、シミアスと対話する中で重要なことを語っている。

本当に哲学にたずさわっている限りの人々は、ただひたすらに死ぬこと、そして死んだ状態にあること、以外のなにごとをも実践しない(64A)

 「哲学をするということは、死ぬことだ」というこの発言に対して、シミアスは笑って次のように応じる。

・・・私の同郷の人々はそれにまったく賛成するでしょう。本当に、哲学している人々は死人同然の生き方をしている・・・と。(64B)

 「哲学者は、社会の中で死んでいるのと同然の存在だ」と、揶揄する言葉である。 こうした見方に接してソクラテスは憤激することもなく、自分の考えを述べる。

哲学者は他の人々とは際だって異なり、できるだけ魂を肉体との交わりから解放する者である(64E)

 こう考える彼は、「肉体」を思考の自由を邪魔する存在として否定的にとらえる。

 肉体は、また、愛欲、欲望、恐怖、あらゆる種類の妄想、数々のたわ言でわれわれを充たし、そのために、諺にも言われているように、われわれは肉体のために、何かを真実にまた本当に考えることがけっしてできないのである。(66C)

 魂が自由にはたらくためには、肉体は邪魔なものである。肉体の死は、魂に自由をもたらすという点で、何も怖いものではない。そう考えるソクラテスは、生きているときにも、できるだけ魂を肉体から切り離すことが重要だと述べる。

 魂を肉体からできるだけ切り離すこと、そして、魂を肉体のあらゆる部分から自分自身へととり集め、自分自身として凝集するように習慣づけること(67C)

 そして、ソクラテスは次のように述べる。

 正しく哲学している人は死ぬことの練習をしているのだ(67E)

 言葉によって思考することの本質を、簡潔に把捉した重要な言葉だと思う。思考するためには、言語が必要である。言葉によって事物を理解しようとすれば、それを客体化することになる。この際、対象との切断が生じる。そして思考することによって、肉体からも、生命性からも切断されることになる。
 この意味において、「正しく哲学している人は、死ぬことの練習をしている」というのは正しい。ただこの切断が、その後2000年以上の長きにわたって西洋の思想を規定することになることは、プラトンは想像していなかったであろう。そして、それまで主流であった心身一元論的発想が後に「神秘主義」の中に囲われることになることも。
 さて、パイドンの巻末で、ソクラテスは毒盃をあおり、次の言葉を発しつつ死へと赴くことになる。

 クリトン、アスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。忘れずに、きっと返してくれるように(118A)

 魂の不滅をうたったこの著作が、劇的に構成されたソクラテスの死によって締めくくられることによって、この本での主張が感動的な布置の中におかれる。この感動が、彼の主張の説得力を高めるとともに、この本に対する反論の力を奪いもしただろう。プラトンは、この意味においてソクラテスの死を利用したと言える。そしてここにはっきりとあらわれているプラトンの巧妙な美的構成力が、「霊魂の不滅」という着想に、そしてプラトニズムとして後に括られることになる彼の着想全体に、長い命を与えることになったのだろう。

パイドン―魂の不死について (岩波文庫)
パイドン―魂の不死について (岩波文庫)岩田 靖夫

岩波書店 1998-02
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