論文を書く自分を励ます

 ずっと一つの論文を書いていた。家にいても職場にいても、頭の隅でいつもぼんやりとその主題のことを考えていた。考えていると、ふと頭の中に、あるアイディアが浮かぶ。それを書き付ける。しかしその文を読み返してみると、何だか納得がいかない。もっと適切な表現があるはずだ。この違和感を頭の隅においておくと、たとえば風呂につかっているときに、ふと言葉がおりてくる。すると、その言葉を足がかりにして、しばらく書く。そしてまた考える。こんなことを繰り返す毎日だった。
 論文の書き方は人によって違う。僕の知人の中に、おそろしく多産な人がいる。専門領域が違うので比べても仕方がないけれど、様々なデータや文献を手際よくまとめては、あっという間に論文を書き上げていく彼の能力はまったく驚異的だ。
 一方僕はといえば、二、三年に一本、書ければいいほうだ。けっして怠けているわけではないのだけれど、必死にやっても、それくらいしか僕には書くことができない。そんな自分の能力の低さに直面して、悲しくなることもある。
 でも、そんな時には自分に言い聞かせる。お前は、自分が本当にそうだと思えることを書きたいのではなかったか。そうしたいのであれば、借り物の言葉をつかってはいけない。時間はかかってもいいから、自分の体験にぴったりあう言葉を探し出し、それを納得のいくようにつなげて文をつくり、その文をつみあげていけ。そうして生み出された文章でなければ、読む人のこころに影響を与えるはずはないのだから、と。
 そんな風に自分を励ましながら論文を書くなんて馬鹿みたいな話だけれど、馬鹿みたいでも構わないと思って、必死になって走り続けて何とかゴールが見えてきた。もう少しだ。