阿蘇の火口に死体を探す

 一日、阿蘇に遊んだ。
 朝早く山麓の宿を立って、車で中岳火口を目指す。草千里や米塚の草に覆われたやさしい風景を眺めて運転するうちは、窓から吹き込む高原の風が心地よい。しかし斜面をのぼるに従って、車外の景色は草もまばらになり、いきものの姿の乏しい荒々しい光景にかわっていく。
 30分ほどのドライブのあと、最終地点の中岳火口に至る。車を降りた僕は、観光客にまじりながら坂を上り、柵が張られた火口の縁へとたどりつく。軽く身を乗り出しながら白煙を噴き上げる火口をのぞきこむと、噴煙の中から緑白色ににごった火口湖が顔を出す。
 小学生3年の夏休み、僕は一度中岳を訪れたことがある。その時は、火口には確か柵は巡らされていなかった。怖い思いでしゃがみつつ手を縁にかけて下をのぞきこむと、切れ落ちた斜面に火山礫が無数にころがり、その下に緑白色の火口湖が見えた。そうやって怖がっている僕に、阿蘇まで連れて行ってくれた福岡のおじさんが、横から話しかけてくれた。
 「ここは自殺の名所でね。でもね、この火口には猛毒のガスが充満しているから、救助隊も助けにいけないんだ。だから火口の下の方には、何十年も助けられないままに残された、死体や骨が沢山転がっているんだ。よく探してごらん」
 詳しい部分ははっきりは覚えていないが、そんな話だった。おじさんは嘘をつくような人でなかったから、きっとおじさん自身もその話を信じていたのだろう。そして当時の僕は疑うこともなく、それを本当のことだと思い込んで、火口の中をのぞきこんで懸命に死体を探した。でも噴煙のせいでうまく見つけ出せないままに、結局おじさんに急かされて僕はその場を去った。
 それから30年以上たって、僕は当時のおじさんとかわらない年齢になった。今になると、あのおじさんの話は、たぶん事実ではないことが分かる。でも中年になった僕のこころの中に、まだ小学校3年の自分が生きていて、火山礫がころがる斜面の下に沢山の死体がないか懸命に探そうとしてしまう。でも残念なことに今回も噴煙にまぎれて、やはり下の方がよく見えない。半ばあきらめた大人の僕は、こう呟く。「死体なんて、あるはずがないじゃないか」と。
 でも目をよくこらすうちに、噴煙の隙間から、火山礫や灰のかたまりとは明らかに異なった、やわからく膨れた大きなものが無数に見えた気がした。でもはっきりとは見えなかったから気のせいだと思ってその場を離れ、宿に戻った。その夜、布団の中で暗闇をみつめながら、ふと僕は確信した。あの無数の物体はきっと、この30年のとしつきの間に見えるようになった、猛毒の火山ガスの中に横たわる死体であったに違いない。そして、あのときのおじさんは、この風景のことを話していたのだということを。