ガンディー著、田中敏雄訳『真の独立への道』

 ビオンがイギリスに一人旅だったのが1905年。彼の原風景であったインドは、当時イギリス統治下にあった。しかし反英気運が高まる中で、政情的に不安定な状況に陥りつつあった。支配層である英国人家族で育ったビオンを取り巻く外的状況は、ある種の緊張感の中にあったであろう。
 そのころのインドの人たちがおかれた状況の一端を理解するために、41歳のガンディーが書いた本を読む。「真の独立への道」で1910年刊。田中敏雄氏による邦訳は岩波文庫から2001年刊。南アフリカで活動していたガンディーが、インドの独立に関して自分の考えをまとめた本だ。
 この本でガンディーはヨーロッパ的なもの、あるいは英国的なもの対して、極端な否定的見解を示す。たとえば病院については、以下のような評価を下す。

 病院は罪悪の根源です。病院があるので、人間は身体にあまり注意を払いませんし、不道徳がはびこるのです。(p78)

 こうした主張の部分だけ取り出せば、善悪二元論的に単純化された未熟な意見だといわざるをえない。しかし、ガンディーが被支配者の立場に置かれていたことを考慮すれば、この主張は、ヨーロッパ的なものに含まれている暴力性に対して、非常に敏感になっていたことの裏返しとして理解すべきものであるだろう。
 ただ彼は、このような支配者の暴力性に対して、インド人は暴力で応じてはならない、と主張する。彼は「武器」でなく、「慈悲」で応じるべきだという。

 ほとんどの場合、武器の力より慈悲の力がもっと強力です。武器には害がありますが、慈悲にはけっしてありません。(p104)

 こうした姿勢をささえる道徳的基盤として、インドの詩人トゥルスィーダースの言葉をひく。

慈悲は宗教の根源 / 罪の根源は傲慢(p107)

 このような言葉に代表される、「慈悲」という道徳性をインド人は大切にしてきたのだ、と彼はいう。そして、こうした慈悲の力は、歴史的にも根拠づけられると主張する。暴力だけに恃んで生きていれば人間は滅んでいたはずだ。他者への愛情を大切にして生きている人が沢山生き残っていることが、慈悲の力、つまり魂の力(サッティヤーグラハ)の重要性を示しているのだ。そのように彼は主張する。
 この「魂の力」について、ガンジーはさらに説明を重ねる。サッティヤーグラハは、英語でいうと「受動的抵抗(パッスィヴ・レジスタンス)」(p110)である。そしてサッティヤーグラハは、普通の人が生活の中でも行っているもので、大変「自然なもの」であるため「記録され」ない(p110)ものである。しかし、記録されないからといって重要でない、というわけではない。真の自治は、インド人が大切にしてきたサッティヤーグラハを守ることによって、はじめて達成される。このようにガンディーは確信をもって主張する。
 こうした彼の主張を読むと、彼がのちに明確に示すことになる、「非暴力不服従」という行動理念が、すでにこの時点で完成していることがわかる。そして、その根拠にインド人が大切にしてきた「魂の力」という考えがおかれていることもよくわかる。だからこそ、ガンディーの主張がインドの人たちを動かしたのであろう。

 ビオンは、ガンディーのことをどう見ていたのだろうか。

真の独立への道―ヒンド・スワラージ (岩波文庫)
真の独立への道―ヒンド・スワラージ (岩波文庫)Mohandas Karamchand Gandhi

岩波書店 2001-09
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