伎芸天に会いに行く

 週末は出張で奈良に赴いた。途中すこし時間があいたので、伎芸天に再会しようと秋篠寺を訪れた。約20年ぶりのことだ。
 バスを降り、小さな東門から境内に入る。木々の豊富な境内は新緑が美しい。ときおり吹く、かすかな風にさわさわとゆれる木漏れ日が、参道を照らしている。砂利を踏みしめつつ歩き、看板に従って右へ折れると、向こうに優美な軒が印象的な金堂が目に入ってきた。
 穏やかでやさしい佇まいの金堂の前に立つと、五月の陽光が金堂の白壁に反射し、光があふれて目にまぶしく感じる。しかし金堂内陣へ一歩足を踏み入れると、一転して薄暗い静謐な空間が広がる。すこし暗がりに目が慣れると、向こうの薄明かりの中に仏像が立ち並んでいるのが見える。その一番左手に、たおやかな姿で伎芸天は立っていた。
 頭部は乾漆造で天平時代のもの。しかし何らかの理由で体部は失われ、鎌倉時代にその部分が補作されたという。かすかに小首をかしげて、やわらかな笑みを浮かべる表情は、やさしくも気高い慈母の表情である。しかし、うっすらと開いた肉厚の唇からは、かすかな吐息がこぼれているようにも見えて、そこだけは肉感的な印象を与える。この気高さと艶やかさは、ほぼ奇跡的なバランスの上に共存している。もし少しでも気高さが勝てば近寄りがたい像となり、逆に艶やかさが勝てば人為的ないやらしさが目立ったであろう。この二つの要素の均衡をうまくとり、一つの表情としてつくりあげた天平仏師の技術の確かさは圧倒的なものだ。
 こうした表情の魅力もさることながら、鎌倉時代に補作された体部との一体感が、またすばらしい。右端に立つ帝釈天と比べると、伎芸天の完成度がよくわかる。帝釈天も同じ事情で頭部と体部が連結されているのだが、この連結にやや不自然さが残っているため、全体としてはどことなくぎこちない印象が漂う。それと比べれば、伎芸天の頭部と体部の調和は完璧といってよい。こうした調和を実現しえた、鎌倉仏師の技術もまた卓越したものだ。
 天平と鎌倉という二つの離れた時代における最高の技術が、この像において溶けあい、調和している。そして、その伎芸天に現代の僕たちが魅了される。そんな時代をこえたつながりを考えながら伎芸天を見つめていると、不確かな自分の存在に確かな意味が与えられたようで、とても穏やかな気持ちになった。