聖アウグスティヌス『告白』

 あけましておめでとうございます。
 昨年は7月頃まで断続的に更新していたものの、いったん中断し、しかし12月から発作的に再開するという気まぐれなホームページ運営となりました。おそらく今年も、昨年同様、気ままな更新になると思いますが、お暇であればご笑覧いただければ幸いです。
 今年もよろしくお願いします。

 アウグスティヌス(354-430)の時間論について知る必要があり、『告白』の第11巻を読んだ。(岩波文庫版、服部英次郎訳、1976年)。そこで彼は「過去」、「現在」、「未来」を区別し、この三つの時はどのように異なるのかを明確にしながら、そもそも時間とは何なのか、ということを検討しているが、この末尾に印象深い一節があった。

 しかしあなた(神)のあわれみは、生命にまさるのであるから、どうであろう、(人間である)わたしの生命は分散なのである。・・・すなわち一なるあなたと多なる・・わたしたち・・・。(あなたはわたしに)一なるものを追い求めるようになされたのである。・・・わたしは、その秩序を知らない時間のうちに飛散し、わたしの思惟はわたしの魂の最奥まで喧噪をきわめる雑多によって切り裂かれている。そしてついにわたしがあなたの愛の火によって浄化され、融解されてあなたのうちに流れ込むまでそのような状態にあるのである。(下巻p140)

 この部分がおもしろい。人間は、過去と現在と未来という分散した時間の中で生きているが、アウグスティヌスは、この分散の統一を目指すことが、神への一体化に近づくことになるとみているわけだ。西洋の心理療法には、過去の体験を統合することを通じて、未来の自分の礎を築こうとする傾向が広く認められるが、その傾向を強力に支える宗教的・思想的基盤の一端が、この一節によく現れているように思う。

告白 (下) (岩波文庫)
告白 (下) (岩波文庫)アウグスティヌス 服部 英次郎

岩波書店 1976-12-16
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