「プライバシー」に関する概論

 仲正昌樹著『「プライバシー」の哲学』。2007年。ソフトバンク新書。
 プライバシーという概念に関する歴史的考察を軸にして、その議論の展開をコンパクトに、しかし濃密にまとめた一冊。この著者ならではの力量がいかんなく発揮されていて、プライバシーについて概観するのに非常に役に立つ本。私にとって重要なポイントは二つあった。
 まず一つ目は、public / privateの区別と、日本におけるおおやけ/わたくしの区別の違いについての考察が、大変勉強になった。この考察を自分なりにまとめると、次のようになる。
 まず「おおやけ」というのは、大きい「ヤケ」(屯倉の「ヤケ」)に語源があるという。この「ヤケ」は、共同体の基本単位、あるいはその拠点となる建物などを指す言葉で、この「ヤケ」が複数あつまると「オホヤケ」になるという。大和朝廷が「オホヤケ」となったのは、最大の「オホヤケ」と考えられていたためであり、そしてその下位の共同体は「ヲヤケ」と呼ばれた。その後、この「ヲヤケ」は使われなくなり、語源のはっきりしない言葉「ワタクシ」が使われるようになった。この「オホヤケ/ヲヤケ→ワタクシ」の入れ子構造があるため、「おおやけ」より下位の小共同体にかかわることは「わたくし」的な性格を帯びるという。この点を、現代にひきなおして述べると次のようになる。
 たとえば私は病院に勤務しているが、家のことで病院の仕事を休む際には上司に対して「わたくしごとでご迷惑をおかけします」とつたえることになる。この発言の背後には、病院の活動は「おおやけ」だという認識が隠されている。しかし地域医療のカンファレンスに出たりすると、「わたくしの病院では・・・」と言うことになる。つまりここで、「おおやけ」とみなしていた病院が、「わたくし」的な性格を帯びたことになる。このように、おおやけとわたくしが入れ子構造になっているため、おおやけとわたくしの境界は不明確になりやすい。
 このような日本の考え方は、西洋のものと少し異なっている。西洋では個人のprivacyが重要とされるが、それはpublicが自分のprivateな領域に介入してくるものととらえられ、個人はその介入を拒む自治の権利privacyを有しているとみなされているからだ。こうした認識の背後には、古代ギリシャ、ローマの考え方が存在する。これらの国では、対等の市民によって構成された都市国家がrepublicとして成立していたこともあり、publicは本来的に個人のprivacyを尊重することが要請されていた。
 もう一つ勉強になったのは、「プライバシー権」についての説明だ。著者によれば、この権利は、現在三つの要素を含んでいるという。
 ひとつはもっとも基本的な権利であり、ほっておいてほしい権利right to be let aloneである。これは1890年のウォーレンとブランダイスの論文「プライバシー権」ではじめて定義された考えである。この主張が行われた背景としては、1884年コダック社からスナップカメラが発明され、広がりを見せ始めたことがあげられる。(これについては本書ではなく、Solove著『Understanding Privacy』Harvard Uni Press,2008に記載あり)
 二つ目は、「自己決定権」としてのプライバシー権。つまり自分のことは自分で決める権利。これは1960年代から70年代にかけて、否認や人工妊娠中絶をめぐる一連の裁判を通して確立された。つまり公民権運動とリンクした権利概念である。
 三つ目は、自己情報コントロール権としてのプライバシー権。自分に関する情報は、自分がコントロールする権利がある、とみなす、もっとも積極的な権利概念。これは1967年のアラン・ウェスティンの著書『プライバシーと自由』がきっかけとなって、広まるようになった。情報化社会の発展にリンクした概念といえる。
 精神医療でも心理療法でもプライバシーが重視されている現代においては、やはりこの概念についてしっかり理解しておかないといけない、と痛感させられた。

「プライバシー」の哲学 (ソフトバンク新書 053)
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