守秘義務について語るクリストファー・ボラス
さらにプライバシーについて考えるために、The New Informants: Betrayal of Confidentiality in Psychoanalysis and Psychotherapyを読む。95年、Jason Aronson刊。独立派の分析家クリストファー・ボラスと、精神分析に造詣の深い法律家Sundelsonの共著本。情報開示disclosureの重要性が喧伝される時代の中で、なぜ精神分析においては守秘義務confidentialityが決定的に重要なのか、を詳しく論じた著作。かなり戦闘的な筆致が印象的な一冊だ。
米国では、近年のマネージドケアの中で保険会社から治療内容について開示するよう命ぜられることが増えている。また児童虐待予防のため、治療者に通報義務を定める流れがある。著者らはこのような潮流に抗して、精神分析においては治療のプライバシーは完全にまもられなければならないのだと強い主張を行っている。ここでの彼らの主張をまとめてみた。
精神分析においては完全なconfidentialityが達成されていないといけない。なぜか。精神分析は自由連想を方法として採用しており、そこで患者は取捨選択せずに何でも思いついたことを話すことが求められる。世間でタブーとされていること、たとえば殺人願望や倒錯的な願望であっても、そして幼児に対する性的なファンタジーであっても、privateに保っておきたいことも含めて、脳裏に浮かぶことは話さなくてはいけない。つまり、治療者に対しては何でも情報開示disclosureをしなくてはならない。そうしないと、精神分析過程が進展しないからだ。
しかし治療自体のconfidentialityが確かでなければ、患者はdiscloseできなくなり、話す内容を取捨選択することになる。たとえば分析家に児童虐待の通報義務が課せられてしまうと、患者は通報されることを恐れてそのようなファンタジーを抱いていても話さなくなり、分析過程が阻害されることになる。その結果患者は、Psychic truthへたどりつくことができなくなってしまう。
そのようなことにならないためには、治療者は次のようにふるまわなくてはならない。Any psychoanalyst who listens to a patient describing the sexual molestation of a child would have to bear the considerable anguish of his position : specifically he would be obliged to refrain from trying to protect the child by informing on the adult.(pp155-156)
児童虐待を分析の中で知った場合でも、それを他者に報告することは差し控えなくてはならない。こうした行動規範が大切なのは、ジャーナリストが情報源を秘匿していることや、法律家がクライエントを守ることと何ら違いはない。
しかしこれでは児童虐待を放置することにもつながりかねない。ではどうすればよいか。一般に治療者は、二つの世界で生きなくてはいけない。一つは、目の前の患者の苦痛に対処するというプライベートな役割。もう一つは、もっと社会的なことを考えて行動せねばならない、公共的な役割。この二つがまじりあっているために混乱が起こるのだから、精神分析家に代表されるプライベート・セラピストと、ソーシャルワーカーなどのソーシャルセラピストとを完全にわけるのがよい。ソーシャルセラピストは現実的な介入や具体的対応をとる。もちろん、その際、守秘義務は破られてしまうことになるが、それによって虐待されている子どもを守ることができるだろう。逆に分析家は現実的な介入は一切しないかわりに、守秘義務をかたく守る。このような分業をしっかり行うことがよいのではないか。
おおざっぱなまとめだが、概略上のようなことを著者らは述べている。では、この主張をどうとらえるべきか。
他の分析家があまり取り上げない倫理的問題に注目したという点で、ユニークな本だとは言える。しかし、全体的に分析家にとっての理想ばかりが唱えられており、提言内容があまりにも現実離れしたものになっているように感じられる。もし分析を行っている患者が、分析中に虐待の事実を報告した場合で、しかしその患者がソーシャルセラピストとの関わりをもっていなかった場合、著者らはどうするのだろうか。
The New Informants: Betrayal of Confidentiality in Psychoanalysis and Psychotherapy | |
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