チクセントミハイの精神分析批判

 遊びやゲームについての「フロ−理論」で有名なチクセントミハイの主著『楽しみの社会学』に目を通していて、精神分析を批判しているところがあったので引いておく。原題はBeyond Boredom and Anxiety。1975年、Jossey-Bass, Inc.刊。日本版は今村浩明訳、1979年の思索社刊。のち2000年に新装版が同社より刊行されている。

 行動主義者や精神分析の考え方を、取り扱う現象の近似モデルと理解する限り、問題はない。しかし往々にして心理学者や専門家以外の人々は、行動についての一つの近似的な説明を唯一の説明と考え、問題としている現実を、その説明モデルがあますところなく説明するものと考えてしまう。かくして、そのモデルは近似的であることをやめ、絶対的なものになる。チェスはエディプス的攻撃の昇華されたもの以外の何物でもなくなり、登山は昇華された男根崇拝に還元される。(p29)

 このような還元主義的な発想に、チクセントミハイは抵抗する。彼は遊びなどの楽しみを、「リビドーの昇華」とみなしはしない。そのような理解では、日常生活を意味あるものにする楽しみの性質がとらえられないからだ。そのかわり彼は、「楽しみはそれ自体として理解されるべき、自律的現実」(pp30-31)とみなそうとする。そして、もっとも重要で人生を意味あるものにする楽しみは、彼の言葉をつかえばオートテリック(ギリシャ語のauto=自己、teles=目標の合成語)(p31)な楽しみだ、と主張する。しかし精神分析のような還元主義的な思考を用いては、そうした楽しみの本来的な特質を把握することができない。彼はそう批判し、この考えに基づいて彼独自の「フロー理論」を展開していく。
 チクセントミハイがここで示している精神分析観は、自我心理学的なそれのイメージにもとづくものだ。その点で、現代精神分析に対する批判としては弱さもあるのは確かだ。しかしそれでも、彼の批判はいまなお有効であるように思う。

楽しみの社会学
楽しみの社会学M. チクセントミハイ Mihaly Csikszentmihalyi

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