フロイトの生家をStreet Viewで確認する

 フロイトの生地フライベルグについて調べるついでに、Google mapで生家の場所を確認してみた。すると、ここであることがわかった。Street Viewで正面に見える小さな黄色い家が、フロイトの生家である。
 なおnocteさんが、この生家を2010年に訪問されている。ここに、すばらしい訪問記がある。
 フロイトは1856年5月6日、モラヴィアの小さな町フライベルグで生まれた。当時のフロイト一家は貧しく、小さな家の二階に間借りして過ごしていた。ここでの生活に関する、ピーター・ゲイの伝記『フロイト』の一節。

 1856年にフロイトが生まれたとき、一家は小さな家の一室に間借りしていた。一家の住んでいたフライベルクという町は、カトリック教会の高い尖塔が町じゅうを見下ろし、その有名な鐘の音が、いくつかの立派な屋敷やもっと多くの貧しい家々の上に鳴りわたった。教会の他に目を引くものといったら、市場のある立派な広場と、町を取り巻くすばらしい景色だった。肥沃な農地、鬱蒼とした森、そしてなだらかな丘が広がり、その遙か彼方にはカルパチア山脈が見えた。1850年代後半には4500人以上が住んでいたが、そのうちのおよそ130人がユダヤ人であった。フロイト家はシュロッサーガッセ117番地に住んでいた。質素な二階家で、階下には家主であるザジークという鍛冶屋が住んでいた。その鍛冶屋の仕事場の上で、フロイトは生まれたのである。(p.8)

 フライベルグフロイトはわずか三年だけ過ごした後、1859年にライプツィヒへ、そして1860年にウィーンへ移住した。しかし移住後もフロイトは、フライベルグのことをいつも懐かしく思い出していた。1899年のフロイトの文章から。

 町では片時も居心地がいいとは感じなかった。今にして思えば、故郷の美しい森への郷愁の念がどうしても癒えなかったのだ。(p.9)

 フロイトの心理の最深層には、美しいフライベルグの風景と、そこへ帰ることを夢見るつよい憧憬とが存在していた。このことは、彼の著作をひもとくときに意識しておくべき点だろう。

フロイト〈1〉
フロイト〈1〉ピーター ゲイ Peter Gay

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