プラトンの芸術観

 プラトンの芸術観を確認したくて、『イオン』を読む。プラトン全集10(1975, 岩波書店)から、森進一訳で。森進一は演歌を唄うだけでなくて、こういう学術的な仕事もしているのか。さすがだ。
 さて『イオン』は、吟誦詩人イオンと、ソクラテスの対話篇である。ここには、詩作に関するプラトンの考えがよくあらわれている。
 ソクラテスは、詩の生成の秘密を次のように解きあかす。

 つまり、それは、技術として君のところにあるわけではないのだ、ホメロスについてうまく語る、ということはね−これが今しがたぼくが言おうとしていたことなのだ。それはむしろ、神的な力なのだ、それが君を動かしているのだ・・・詩人というものは、翼もあれば神的でもあるという、軽やかな生きもので、彼は、神気を吹きこまれ、吾を忘れた状態になり、もはや彼の中に知性の存在しなくなったときにはじめて、詩をつくることができるのであって、それ以前は、不可能なのだ。けだし、いかなる人も、彼が、この知性という財宝を保っているかぎりは、詩をつくることも、託宣をつたえることも不可能なのである。(pp.127-128)

 つまりプラトンは、詩人の営みを、知性の存在しない神がかりの状態に陥り、その際に彼をつきうごかす神の力に従って言葉を発すること、として理解している。つまり、そこには知性も技術も存在しておらず、ある意味で軽薄な営みだということになる。このように理解するプラトンは、イオンのことを「ぺてん師」という言葉まで用いて、かなり強烈に批判している。そして本篇の最後でも、ソクラテスはイオンに次のような辛辣な言葉を吐きつける。

 それでは、そのより美しい方を、われわれの認定において、君にみとめることにする。イオン、君がホメロスについて、神につかれた吟誦詩人であっても、技術を心得た吟誦詩人ではない、という方をね。(p.154)

 こんなにけちょんけちょんに批判されるイオンが、少々かわいそうではある。しかし、知を愛することの大切さを確信しているプラトンにとって、大衆を情動的につきうごかす力をもった詩人の仕事は、警戒すべきものであったのだろう。

プラトン全集〈10〉 ヒッピアス(大) ヒッピアス(小) イオン メネクセノス
プラトン全集〈10〉 ヒッピアス(大) ヒッピアス(小) イオン メネクセノス津村 寛二

岩波書店 2005-10-25
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