永井均著『倫理とは何か−猫のアインジヒトの挑戦』を読む

 まずは西田幾多郎著『善の研究』を引き続き。第3編「善」に入って、俄然面白くなってきた。「善」という実践的な主題の議論を読む中で、1編、2編の意義が分かりはじめる。行きつ戻りつしながら、粘り強く読んでいく。(しかし面白く感じはじめると、今度は細かくつけられた「注」がうっとうしくなってきてしまった。まったく勝手な読者だ。)

 それとともに、もう少し広い視点で「善」について考えておこうと、永井均著『倫理とは何か―猫のアインジヒトの挑戦』をも併読。永井氏の著作は以前より愛読しており、哲学者として深い信頼を寄せている方である。その理由は、哲学者としてのつとめ−哲学をすること−をしっかり果たしておられるからである。
 この一冊は、その独特な構成によって類書にない生命力が充満している本だ。構成を抜き取って述べるなら、まず主要な倫理学説の解説を行うM先生の講義録が主軸を成している。この講義録だけでも倫理学史の教科書として良くできているが、そこにM先生の意見に懐疑的な立場をとる猫(アインジヒト)と生徒二人による鼎談が絡まされていく。読者がこの本の流れを追う中で、M先生が説明する著明な倫理学説におけるテーゼが、アインジヒトの斜に構えた反論によって次々と否定されていくために、読み手の中に混乱と動揺が生じる。この動揺は時に次のページを繰らせる推進力となりつつ、時にページを遡らさせれる反発力ともなり、行きつ戻りつさせられるうちに主体的な思考が要請されてくる。さらにややこしいことに、本の後半になるとアインジヒトとM先生の思考の境界が不鮮明になっていくために、それぞれの視点が相対化されていくという入れ子構造になっている。こうした議論の対立と輻輳が立体的に生じるこの本の構造そのものが、読者の心に「哲学的」と呼ぶほかない動的な思考を推進していくのである。倫理学史としてのテキストとしても一級であるだけでなく、哲学的思考へと誘う著者のつくった物語としても一級の著作だ。
 ただ一つだけ、個人的な要望を。ニーチェにも同一化するアインジヒトの舌鋒は社会契約論や正義論への批判になると冴えるが、ヒュームへの批判においては弱々しいものとなる。これが残念だ。ニヒリスティックな思考の果てに、否定しきれなかった「愛」を倫理性の根拠に置いてしまいそうになるアインジヒトが最も対決すべき相手は「共感」という心理的現象に倫理を基礎づけしたヒュームであるはずだ。そしてまた、共同体精神を重視したマッキンタイアでもあるだろう。だから、彼らに対するアインジヒトによる徹底的な批判を読みたかった。(巻末でのお薦めの本としてあげられているマッキンタイアの名著『美徳なき時代』が、M先生でなくアインジヒトによって推奨されているところに読み取るべき著者の意図があるのだろう。しかし、その意図は拾いきれなかった。)
 永井均氏の著作を読む意欲が俄然高まったので、ネットで『西田幾多郎―「絶対無」とは何か』と『なぜ意識は実在しないのか』を注文した。『善の経験』を読み終えたら、そちらへ向かおう。