G.O.Gabbard, T.H.Ogden著「On becoming a psychoanalyst」

 GabbardとOdgenの共著論文。なかなか面白い内容なので、ちょっとまとめておく。Int J Psychoanal (2009) 90: 311-327の掲載論文である。
 まずは何より、精神分析界の大物二名の共著論文というところが目を引く。この論文のpp320-322に、完成までに交わされた両者間のやりとりが説明されているのだが、そこを読むと、単に名前だけの共著ではなく、かなり深い意見交換を繰り返し行い、厳密な議論を行った上で仕上げられた共著論文のようだ。それもあって、Ogdenの繊細さとGabbardの明晰さとがうまく融合されて、読み応えのある論文となっている。
 この論文は、著者たちの経験を踏まえて、「精神分析家として良い成長を遂げるために必要な要素は何か」という問いへ答えようとして書かれたものである。全体は大きく二つのパートにわかれていて、前半が理論的考察、後半がプラクティカルな考察、となっている。
 まず前半の理論的考察について、ここで要約しておく。(ただし要約はかなりいいかげんなものです)

 我々は、まず精神分析家となる過程において決定的に重要だと考えられる要素を四つにまとめた。
 まず第一に、この世界の中での体験を、考える(夢見る)ことが重要だ。それによって経験から学び、精神的に成長することができる。ただ一人でそれを考えることは困難を伴うので、誰か他の人との関係の中で考える必要がある。たとえば患者の体験を理解しようとすることを通じても、自分の中にある「考えられていない部分」が考えられるようになっていくだろうし、あるいはスーパーバイザー、colleague、mentorなどとそうした取り組みを行うこともよいだろう。
 第二に、個人の内界に没入して考える(夢見る)ことの重要性である。一つ目の重要な要素にあげたように、他者との関係の中で考えることも重要なのだが、それとともに自分一人で考えることも重要だ。(ちょうどセッションの中で考えることと同様に、セッションの間で考えることもまた重要なように。)こうした他者との関係の中での思考と、一人で行う思考との弁証法的な緊張関係の中で成長することが重要だ。
 第三に、自分自身の存在について深く夢見ること、が重要である。ここでいう夢見るdreamingとは、論理へのアクセスを保ちながらも、論理的思考を越えた思考を行うことである。これは最も深い形態の思考のあり方であり、睡眠中にも覚醒時にも作動している。(waking dreamingがreverie)。夢は時間軸に関係ない展開を示すものだが、その特徴ゆえに夢の中では情動体験の多面的な要素が混然とあらわれる。しかし逆に普段の生活では、因果的に考えたり、linearな時間軸にそって考える習慣が強いので、夢見る機能が隠れてしまう。この夢見ることに伴う多面性をうまく表現したのが、絵画ではピカソやブラック、文芸ではT・S・エリオットやフォークナー、演劇ではハロルド・ピンター、映画ではデビッド・リンチなどの人である。
 第四に、ビオンのいうコンテイナー−コンテインドモデルに添った取り組みを行うことが重要である。つまり、自分の中で見たくない考え、認めたくないような体験を、受けとめていく作業というものが重要である。

 今日は眠いのでここまで。論文の後半のまとめは、次回以降にまわします。