ベタなネタの治療的効用について

 それはともかく、坂元薫先生のベタなギャグについての続き。坂元先生の講演の記録は以下のリンクを。
坂元薫先生の講演のベタさに感激 - Gabbardの演習林−心理療法・精神医療の雑記帳

 今日は、治療者がベタなことをいうことは、治療的に有効だということについて。
 治療者は、たまにはベタなことをいうべきである。というのは、一般に患者は治療者を理想化していることが多いからだ。偉い人、まじめな人、というイメージを患者が持っていると、くだらない考えが浮かんでもそれを話さなくなってしまう。くだらないことを話せなければ、治療は進展しない。それだけでなく、患者は「お医者さんはあんなに立派に仕事をしているのに、それに比べて私は何の役にも立っていない」などと考えてしまうことになりかねない。そうなると、医師がちゃんと診療をすればするほど、患者はしんどくなってしまう。これでは逆効果だ。
 しかし治療者が診療中にときどきベタなネタを交えると、患者は「この医者も、ずいぶんくだらないことをいう人だ」と感じて、「こんなくだらないことを考える人でも医者がやれているんだ」とほっとするはずだ。だからベタなことをいうことは、治療的な治療者患者関係を作り上げるための基礎的な素養だということができ、研修医はベタなことをいうトレーニングを十分に受ける必要があると結論づけられる。しかしこの場合、特にベタなことをいう際のリスクについて十分な注意を払ったトレーニングが行われなくてはならない。というのも十分熟練しないままにベタなことをいうと、「こんなくだらないことを考えている人の治療はとても信用できない」と患者が思ってしまい、致命的な反治療的作用を及ぼす恐れが高まってしまうからだ。

 以上の考察を踏まえると、精神科研修医が学ぶべき課題は次のEからAにまとめられる。

EはEBM(Evidence - based Medicine)
DはDynamic Psychiatry とDescriptive Psychiatry
CはCBT(Cognitive Behavioral Therapy)
BはBBT
AはABT

 この五つである。E,D,Cについては既に広く知られていることであり、説明は不要だろう。BはBeta-based Therapyのことで、これは上で述べた治療者がベタなことをいうことで回復する治療だ。坂元教授を除いては一般に教授などの高い職位にある人や理性的な立派な論文を書く人は、これが苦手であることが多い。そのため研修医は職位の高さや高名さにはまどわされず、本当にすぐれたBBTを行いうる指導者を探しだして指導を請う必要があるだろう。
 最後のAはAho-Based Therapyである。自分の不完全さを理解し、しかしそのことに劣等感を持たずに自然に振る舞える人、それが「あほ」である。治療者があほであれば、患者もあほになれる。患者の理想化転移を職業的に引き受けつつも、脱錯覚されることを恐れることなく、気楽に診療を続けること、これが良い治療の神髄である。すなわち、治療者が「あほ」であることを自覚しつつ、それを受け入れることができていれば、患者も「あほ」であることを恐れることがなくなり、患者の中にもこころのゆとりがうまれていくことになる。このABTにおける理想的な治療関係を象徴させるのに最適な、Hana, H.による有名な言葉があるので最後に引用しておこう。「あんたかてあほやろ、うちかてあほや、ほなさいなら」。まさに至言である。

 Hana,H.についてご存じない方は、次のリンクをご参照いただきたい。Hana,H.
 しかしHana,H.と書くと、Hanna Segalみたいでかっこよく見えるな。

 読書は、金井淑子編『家族 (ワードマップ)』と、現代のエスプリ429『仕事と家庭の両立』、D.クーパー『家族の死』をいずれも流し読み。クーパーの本にはうんざり。反精神医学のうんざり感については、一度しっかり考えないといけない。
 あとは引き続き、Janet Sayers著『The Kleinians: Psychoanalysis Inside Out』をちびちびと。