ポアンカレ著『科学と方法』を読む

 ポアンカレ著、吉田洋一訳『科学と方法』。原書は1908年刊。翻訳は1953年、岩波文庫から。
 この本でポアンカレは、科学者が事実を探求しようとすることの、その心理的基盤を明確にしようと試みる。
 まずポアンカレは、事実が無限に存在するこの世界において、探索するべき対象として何を選択するべきか、という主題を考える。ここで彼はトルストイの言をひく。「地球上に何匹テントウムシがいるか、とかようなことを計算するよりもさらに価値ある仕事がないであろうか」(p16)
 このような、純粋な科学的探求よりも道徳的な価値を優先しようとするトルストイの主張に、ポアンカレは反駁する。トルストイを揶揄しつつ、次のように述べる。

 (こうした主張をする人は)好奇心の欠けた聖者たちであって、かような聖者たちは極端を戒めるあまり、病に死することはないであろうが、かならず退屈に堪え兼ねて死するに相違ない。(p17)

 つまりポアンカレによれば、道徳的なことを第一にした人生は「退屈」なものであり、好奇心に導かれて生きることで、はじめて楽しく豊かなものになる、ということだ。
 しかし好奇心に導かれていれば、何を考えても良いというわけではない。では、何を考えるべきか。この世の中には、思考しない人が多い。だから思考を好まぬ人のかわりに、思考する人は考えなくてはならない。それゆえ、多くの場合に役立つものを考える必要がある。だから、「幾度も役立つ事実、すなわち繰返しておこる機会のある事実」(P18)を考えるのがよいという。
 では、こうした事実を科学者が追い求めるのはなぜか。ポアンカレは、科学者の中にある「美的欲求」を持ち出す。

 (科学者は)自然に愉悦を感ずればこそこれを研究し、また自然が美しければこそこれに愉悦を感ずるのである。・・・もとより、わたくしはここで感覚に感ずる美、すなわち性質と外観との美について語っているのではない。・・・わたくしの語ろうと欲するのは、各部分の調和ある配列から出ずるところの、また純粋な知性がつかみ得るところの彼の一層内面的な美のことである。・・・この特殊な美をもとめる心、宇宙の調和に対する感覚が、吾々をしてこの調和に貢献するもっとも適した事実を選択せしめるのである。(p24)

 こうした力が、「何の関係もないかの如く見えていたいくつかの要素の間に」連絡をつけていく。すると、「これにより各々の要素も、またその要素が全体の間に占める位置も、一目瞭然として看取することができるようになる」(p32)のだという。
 ここでの彼の主張−科学的探求を駆動する力が人間の「美的欲求」にある−は重要だ。これは、彼の実感に根ざした意見であるのだろう。
 しかしこの主張が、トルストイの意見を切り捨てることによって成立していることに、留意しておきたい。道徳的視点とは無関係なものとして科学を扱う彼の視点が、その後の「科学の独走」という事態を引き起こす一因となったはずだからだ。
 研究の「倫理」という主題に光があたるのは、この本の刊行から、約40年あとのことである。

科学と方法(岩波文庫 青 902-2)
科学と方法(岩波文庫 青 902-2)吉田 洋一

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