丸田俊彦、森さち子著『間主観性の軌跡』

間主観性の軌跡―治療プロセス理論と症例のアーティキュレーション
間主観性の軌跡―治療プロセス理論と症例のアーティキュレーション丸田 俊彦

岩崎学術出版社 2006-03
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 これは一風かわった著作である。「著者まえがき」の言葉を用いれば、本書は間主観性理論の日本への紹介を続けてきた丸田氏と森氏が、米国と日本とでそれぞれに体験した「間主観性の軌跡」を記録した著作、ということになる。

 簡単に内容をまとめておこう。
 第1章では丸田氏が、2章では森氏が担当し、それぞれの間主観性理論との個人的な関わりの歴史を披瀝されている。その上で3章では、間主観性理論への橋渡しとなった米国の自我心理学からコフート理論、現代乳幼児精神医学への展開の中で描き出されてきた乳児と母親像の変遷が解説される。この章は、これらの理論を日本に紹介し続けてきた丸田氏の筆になるものだけあって、簡潔にして明快な説明である。
 4章ではSternの理論の概説が行われ、5章では外傷性精神障害について丸田氏が論じる。ここではフロイトのヒステリー治療について振り返ったあと、外傷性精神障害に関するハーマンらの主張を間主観的観点から批判的に取り扱っている。すなわち、患者の語る記憶は治療者との共同制作物であり、両者の間主観的な場においてつくられる物語であると主張し、その視点から患者の陳述を歴史的真実とみなして社会運動を繰り広げるハーマンに対して批判を行っている。さらに著者の米国での臨床経験から、トラウマのrecovered memoryの多くはfalse memoryであり、そして多重人格はつくられたものだ、とも主張する。
 6章では、ストロロウ、スターン、ベンジャミンの三者間主観性理論について簡潔に紹介し、その三つの理論間の異同を論じている。
 7章では、ストロロウらの間主観性理論についての説明である。ここではオレンジによる精神分析的治療の定義−意味了解の共同作業」−を引きつつ、精神分析の主たる治療的契機として、患者が「自分が理解されている」と思える体験を得ることが重要だと述べ、そうした体験なしの解釈は治療的意義を持たず、そうした体験のあとで行われる言葉化にこと治癒力mutative powerが宿ることになると述べる。
 8章では森氏による事例が紹介され、9章でその事例に関する検討が行われる。

 日本語で書かれていることもあり、また間主観性理論の発展の歴史や、各理論ごとの異同が明確にされていることもあって、間主観性心理療法を学ぶ上で役に立つ一冊であることは間違いない。著者たちの個人的な体験を披瀝していることにどのような意味があるのか訝しく思う向きもあるだろうが、日本における間主観的心理療法を唱道してきたのが実質的には著者たちであることを考えれば、著者たちの個人的な「軌跡」を刊行することにも学問的意義は少なからずあるとはいえるだろう。何より日本語を母語とする臨床家によって、こうして間主観性理論に関する本が書き上げられたということは、高く評価すべき点である。

 ただせっかくのレビューなので、気になる点もあげておきたい。
 私は、間主観性理論の持つ重要な要素の一つは、他の諸理論や人間理解につながる人間の努力に対して広く開かれているということにあると見ている。たとえば他の人間との交流そのものに意味を見出そうとする人が、「自我心理学」などといった閉じた理論系を現実の世界に適応するだけの閉鎖した人間理解に執心していては、彼の人間理解は大変貧しくなる。間主観的存在であるその人が貧しい人間理解に基づいて他者との関わりを持つことが集積していけば、それは広く社会が成熟していく契機の一つが失われてしまうことを意味する。その点で間主観性理論 には、人間の深い相互交流の可能性を高め、社会の成熟化をすすめていくための有力な理論的基盤として積極的な可能性を感じる。
 そうした立場に基づいて気になる点をのべるならば、この本の議論が精神分析の歴史にのみ題材を求めて展開されていることが大変残念だ。たとえばintersubjectivityの訳語について7章で論じられてはいるが、精神分析の中に議論が閉じてしまっている。この概念については日本でも多くの哲学者や精神病理学者、発達心理学者がそれぞれの立場から論じてきた経緯があり、訳語についても様々な提唱がなされている。日本語の訳語について著者らが提唱しようとするのであれば、そうした過去の議論の経緯を踏まえた発言が行われるべきではないだろうか。間主観性を重視している一方で、自らの論考が関わりを持っているはずの様々なコンテクストに対して開かれていないというのは、ある種の自己矛盾であろう。

 と、若干の苦言を述べたが、間主観的理論の日本における変遷を知るのに格好の本であることは確かだ。