倉都康行著『金融史がわかれば世界がわかる』

 先日米国のサブプライムローン問題から生じた金融不安についてエントリーを書いた。
サブプライムローン問題と精神分析の復権の可能性 - Gabbardの演習林−心理療法・精神医療の雑記帳
 その後世界のマーケットはかなり不安定な様相を示したが、米欧の中央銀行の積極的な介入もあって随分落ち着いてきたように見える。もちろん住宅価格の下落が続く米国のリセッションの可能性はまだ否定できないが、当初のクレジットクランチから派生した流動性危機はひとまず回避されているといっていいだろう。
 しかし事前に一定予測された今回の金融危機であるとはいえ、この間のFRBがとった対応は確かに素早かったし、また中央銀行のバックアップがある中とはいえ、たとえばバンクオブアメリカによるカントリーワイドの買収など民間でもこの金融危機の中で素早い意思決定が行われたことについてはあらためて感服させられた。前回に、「リセッションが起これば精神分析復権の可能性があるのでは」と書いたが、この決断力と実行力、そしてリスク管理の力を見せられると、そうした社会の中で精神分析のように長期間うだうだと行う治療が出る幕はやはりなさそうだなあ、と思ってしまった。(もちろん精神医学の基礎的な知識としての精神分析の重要性は米国でも認められているし、その位置づけは変わらないと思うが)

 そんなことを考えている中で、今回のような危機の中でも高い柔軟性を発揮して即応できるだけの力をなぜ米国の金融が備えているのか、関心を持ったこともあり、金融史に関する入門書を読んでみた。

 

 一読して、これはよい本だと感じた。なにより複雑な金融史をまとめる鮮やかな筆力にうならされた。著者は自分のことを金融の最前線で働き続けた「実務家」だと繰り返し述べているが、著者の見せる構成力や視点の広さはもはや「実務家」の域を超えている。貨幣の歴史から金融における英国の台頭、金本位制の確立、ポンドの落日と米国への覇権の交代、変動相場制の導入、デリバティブの開発と証券化の導入、そしてユーロとドルという二大基軸通貨の時代、といったおおまかな金融史の流れをわかりやすく説き起こしつつ、周辺的な逸話などもふんだんにとりいれて飽きさせない。
 いろいろと興味深い点が多く、特に個人的にはニクソンショックの重大さというものが金融の長期的歴史の中におくことではじめて理解できた点が新鮮であったし、他にもいろいろと新しい発見が多かった。しかしこのブログの主題に関することに限って言えば、著者が金融における英国の凋落の原因の一つを、「職人芸的なアマチュアリズムを出発点としてその伝統方法にこだわる英国気質」、「大規模な組織化を嫌がり、量よりも質を追求するといった英国独特の思考方法」、に見ている点が興味深かった。こうした英国人観はいわば常識的なものではあるが、あらためて明言されてみると、精神分析においては、ここにあげられているような英国人気質が逆にプラスに作用して、クライン、ウィニコット、ビオンといった英国精神分析家の深層心理の精緻な理解とそれに基づく実践を可能にしているのだろうな、と感じさせられることになった。逆に20世紀における米国の金融の発展、特にデリバティブの開発と導入といった革新的な出来事は、自由な発想と実践が許容される国でしかなしえなかったことであろうと思われ、こうした発展的な精神的土壌が、近年の米国精神分析における科学的根拠をもとめての活発な実践とその多様性の展開という次世代につながる果実をもたらしているのだろうとも痛感した。