宮岡等著「口腔内セネストパチー」

 必要があって、セネストパチーについてまとめておく。
 宮岡等氏の「口腔内セネストパチー」(精神科治療学12(4);347-355,1997)という論文が簡潔でよくまとまっている。その中の一部を抜き出して要約する。

1 概念
 身体の様々な部位の異常感を奇妙な表現で訴える症例を一般にセネストパチーと呼ぶ。
より厳密には、二つの意味が含まれている。一つは疾患概念としてのセネストパチー(セネストパチー症状のみが単一症状性に持続する場合)であり、もう一つは症状の呼称としてのセネストパチー(統合失調症うつ病、脳器質疾患などの一症状としてみられた場合)である。

2 歴史
 セネストパチーという用語を用いたのは、1907年にDupre,E.とCamus,P.(Les cenethopathie. Encepkale,2;616-631, 1907)。彼らはセネストパチーを「セネステジー」の異常だとした。五感器を通じて外部より刺激を受ける感覚に対して、「セネステジー」とは内的な感覚であり、通常はっきりと意識にのぼらせているものではなく、異常が問題となってはじめてその存在が類推される、という性質を持つ感覚のことである。
 本邦では、保崎秀夫氏の「セネストパチーとその周辺」(精神医学,2:325-332,1960)という総説の発表以後、注目が集まった。

3 診断
 身体の異常感を奇妙な表現で訴えるもの、をセネストパチーと診断する。「奇妙さ」はどの程度であればよいのか、とよく問われるが、その基準はあるわけではない。
 鑑別診断で重要なものは心気症である。保崎(心気症vsセネストパチー: medicina,17;2106-2107:1980)は心気症の鑑別点として以下の点をあげている。
 心気症は、1)健康状態に対する過度の心配や不安がある、2)訴え方は表現がいろいろかわったり、多少誇張的である、3)原因として身体疾患を考え、心配する、4)身体的検査を強く要求する。セネストパチーでは、1)基本的には奇妙でグロテスクで具体的な訴えである、2)その身体の感覚に驚き、当惑する、3)身体疾患の有無は心配の中心とはならない、4)異常感の原因を調べるよりも、まず異常感をとるような治療を求める、、などが見られる。
 なおDSM−?では妄想性障害(身体型)、ICD-10では妄想性障害に含まれることになる。

4 治療
 別の精神疾患の症状として出現している場合は、基底の精神疾患の治療を行う。セネストパチー症状は薬物への反応が悪いことが多いため、それ自体を標的として治療しないほうがよい。

 なお薬物治療については、最近の文献(高田知二、高岡健:Aripiprazoleが奏功した口腔内セネストパチーの1症例、臨床精神医学37(6):825-829,2008)によると

 薬物治療は難渋することが知られている。が、有効例の報告もある。
 和気らは、tiapride、sulpiride、fluphenazine、pimozide 柴朴湯に治療効果を認め、1例はtiaprideが著効したという。松井らは81才の女性にfluvoxamineが有効であった症例を、坪内らはdonepezileが奏功した49才の女性例を、中村らはfluvoxamineが奏功した82才と67才の女性例を報告している。森川らはECTが有効であった72才の女性例を報告している。
 精神療法としては、吉松和哉氏は、患者の訴えをありのままの形で受けとる精神療法的態度を強調している。宮岡等氏は、まずは問題を整理し、患者なりの対処法を支持し、最低限の生活はこなすよう促すことが大切だとしている。佐藤新氏は、自らの老いの受容を図りながら、生活圏の拡大のため家族や社会との関係を段階的に調節していくことが重要だとしている。


 宮岡の論文の中で提示されている精神病理の理解、すなわち感覚器官を通じて外から与えられる感覚とは別に、内的で全体的な身体感覚があり、それが障害されることによって「セネストパチー」が現れる、というDupreらの主張は興味深く感じた。現代における内的な身体感覚図式の理解の視点から、彼らの主張を見直してみると面白いように思う。


 しかし、「セネストパチー」という言葉が、「セネステジー」という仮説的な概念を前提とした精神病理的判断を含んだ名称であったにもかかわらず、そうした精神病理の理解を経ずに、「身体の異常感を奇妙な表現で訴え」ていればセネストパチーと診断を下すことは、その診断基準を用いる精神科医に予見を与えてしまうという点で問題があるのではないか。そういう意味では、「妄想性障害、身体型」と診断したほうがいい場合もあると感じる。特徴的なその訴えを表す言葉として「セネストパチー」は捨てがたいが、かなり注意を払いながらつかうべき診断名であろう。