E.H.カー著『歴史とは何か』などを読む

 その後の読書など。
 先日読んだ仲正昌樹著『集中講義!アメリカ現代思想』が印象深かったこともあり、同じ著者の『「不自由」論―「何でも自己決定」の限界 』『集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか』を読んだ。この著者の情報処理能力は極めて高いことを再び印象づけられた。特に日本の戦後の知識人を中立的な立場から紹介した『日本の現代思想』は、バランスの良い好著である。
 またアメリカの歴史について考える中で、そもそも「歴史」についてよく把握しておく必要があると感じ、歴史哲学の本をと思って、E.H.カー著『歴史とは何か』を読んだ。
 その本を読んで歴史の「再構成」について考えていたら、精神分析へと回帰したくなり、フロイト分析技法における構成の仕事』を読み、この本で彼が言う「歴史的な真理」についていまひとつしっくり理解できない点があったので、『モーセという男と一神教』を読んだ。


 この中から、『歴史とは何か』を簡単に紹介。
 E.H.カーE.H.カー(1892-1982)著『歴史とは何か』、岩波新書清水幾太郎訳。
1961年にカーがケンブリッジ大学で行ったレクチャーを元に、同年秋に出版された講義録。歴史における事実、社会と個人、科学、道徳、また歴史における進歩について、など基本的なテーマについて幅広く拾い上げ、それをコンパクトにまとめて論じた一冊。
 この本が有名なのは、次の主張をわかりやすく示したことにある。
 歴史とは、過去の事実がただ羅列されているものではなく、現代の視点から、過去の事実を連結してまとめあげられた姿である。
 ここではその主張にまつわる部分をいくつか抜き書きする。まずクローチェの主張に言及している部分。

すべての歴史は「現代史」である、とクローチェは宣言いたしました。その意味するところは、もともと、歴史というのは現在の目を通して、現在の問題に照らして過去を見るところに成り立つものであり、歴史家の主たる仕事は記録することではなく、評価することである。(p25)

 次に、コリングウッドの歴史哲学を要約して紹介している部分。

 歴史哲学は「過去そのもの」を取扱うものでもなければ、「過去そのものに関する歴史家の思想」を取扱うものでもなく、「相互関係における両者」を取扱うものである。(p26)

 だとすれば、歴史の本を読むときは、その歴史を語る人間についても当然考えなければならない。ということで、歴史家が行う「再構成」についても説明していく。

 歴史家の心のうちにおける過去の再構成は経験的な証拠を頼りとして行なわれます。しかし、この再構成自体は経験的過程ではありませんし、事実の単なる列挙で済むものでもありません。むしろ、再構成の過程が事実の選択と解釈を支配するのです。

 そして、決めの台詞。

歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。(p40)

 歴史家が扱うのは人類史だが、治療者が扱うのは患者の個人史である。同じ歴史なのだから、両者間に共通項が多いはずなので、ここでの論述を心理療法にむりやり関連づけてみる。
 治療者が患者の心的現実だけに着目して、あるいは逆に外的現実だけに注意を払って関わっていては、発展は生まれない。この二つの現実の間で生じる不調和に開かれ、対話を続けることによって、初めて発展的な思考が生まれる。
 と書いてはみたけど、この関連づけは、あまりに無理がありすぎだ。却下。

 さて、このように前半はなかなか面白く読めるのだが、後半に入ると「理性」や「進歩」の一面的な擁護論が並ぶので、読んでいていささか息苦しい。私は基本的に、理性の働きに信頼を寄せているが、それでも彼の論は「理性」への過剰なまでの思い入れが強く、ちょっと鼻白む思いがしてしまう。
 どうしてそこまで理性の価値を高らかに謳い上げなくてはならないのか。不思議な気もするが、この講演が行われた1961年を、より大きな時代動向の中において考えてみると、そうした姿勢をとらざるをえなくなった理由が推測できる。

1955年フーコー著『狂気の歴史』、同年レヴィ=ストロース著『悲しき熱帯』、1957年ポパー著『歴史主義の貧困』、1959年ゴダール勝手にしやがれ』、1960年R.D.レイン著『引き裂かれた自己』、イヴ・クラインの『身体測定』もこの年。さらに1961年にケネディ大統領就任、1962年にビートルズLove me do』。

 このように眺めてみると、この講義が行われたのが、ちょうど、既成の権威の失墜が明確になりつつあり、構造主義がいままさに花開かんとする時代であったことがわかる。近代の価値を信じて生きてきた彼が、その時代動向の中で抱いたであろう危機意識にかられて、理性や進歩の価値をより声高に示さねばならなかったということだろう。
 逆に言えば、理性や進歩が過剰に強調されていることを割り引いて読まなくてはならない本、だということになる。

歴史とは何か (岩波新書)
歴史とは何か (岩波新書)E.H. Carr 清水 幾太郎

岩波書店 1962-03
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