ウィニコットの臨床の問題点 

 論文「D.W.Winnicott's Analysis of Masud Khan : A Preliminary Study of Failures of Object Usage」を読んだ。Contemporary Psychoanalysis, 34(1998): 5-47に掲載されたもの。
 著者Hopkinsは、フィラデルフィア在住の分析家。攻撃性に関するウィニコットの理論と臨床が乖離していたことを資料を通じて明らかにし、その乖離がうまれた所以について考察した論文だ。
 Hopkinsがこの批判的論考の基礎に据えているのは、ウィニコットの晩年の論文『対象の使用と同一視を通して関係すること』だ。彼の代表的な著作の一つ『遊ぶことと現実』に掲載されている、有名なこの論文の主張をまずまとめておく。
 ウィニコットによれば発達初期の赤ん坊は、まず「対象と関係しているobject-relating」状態にあるという。「関係している」というと、独立した母と子が関わり合うイメージが喚起されるが、ウィニコットはこの言葉にそれとは真逆のイメージを託している。彼によれば、母親は最初は、全面的に乳児からの投影の中で存在している。つまり母親は乳児の「全能的統制」下にある。しかし次第に赤ん坊は、母親が固有性と自律性をもった存在であることに気がつきはじめる。すると赤ん坊はこの母親を破壊しようとする。それに対して母親が生き残るsurvive(あるいは復讐retaliateしない)ことができれば、次第に破壊が乳児にとっての現実を作り出し、現実の母親をリアルに体験できるようになっていく。こうなった状態が、「対象の使用object-usage」の状態である。
 ウィニコットはこの過程を、赤ん坊の主観的体験の変化に添って次のようにまとめている。

 主体は対象に向っていう。「私はあなたを破壊した。」そしてそこで対象はコミュニケーションを受けとることになる。これから先、主体は次のようにいっていく。「やあ、対象!」「私はあなたを破壊した。」「私はあなたを愛している。」「あなたは、私の破壊から生き残ったので、私にとって意味がある。」「私はあなかを愛していながら、(無意識的)空想内ではいつもあなたを破壊し続けている。」ここで個人にとって空想が生じる。(p127)

 このような理解から導出されるのは、分析的治療において治療者がまず果たすべき取り組みは、解釈を与えることでなく、破壊性を受けとめ生き残ること、だという彼の主張である。

 この変化は解釈的な作業からもたらされるものではない。それらは、復讐への質的な変化を起さないという観念を付随要素として内包している分析医が、攻撃から生き残ることによってもたらされるのである。(p129)


 さて元のHopkinsの論文に戻ろう。彼女は、この「対象の使用」に関するウィニコットの主張については,特に問題視している様子はない。彼女が批判の矛先を向けているのは、ウィニコットの理論と臨床の乖離である。つまり、ウィニコットは理論上は「憎しみを受けとめ、抱え、生き残ること」を重視していたにもかかわらず、実際の臨床場面ではそれができていなかったというのだ。
 この主張を裏付けるために、論文『逆転移における憎しみ』に描かかる孤児の例や、マーガレット・リトル、ガントリップの分析、そしてマスード・カーンとの関係を著者は引用し、これらの事例の中に繰り返し現れる、ウィニコットの特徴的態度を切り出していく。
 たとえば孤児の例については、次のように指摘している。

He responds to hate by telling the boy that he is hateful and putting him outside, but he makes sure that his behavior does not communicate "anger or blame" and he takes care never to discuss the incident again.(p14)

 ここに指摘されているのは、ウィニコットには子どもの憎しみに対する情緒的関わりを避ける傾向があること、そして攻撃的な言動について子どもと話しあわない傾向があることだ。そしてこの傾向は、彼の「対象の使用」の理論と乖離したものだ。そうHopkinsは指摘する。
 さらにこのウィニコットの特徴のために、彼の分析を受けたマーガレット・リトル、ガントリップ、そしてマスード・カーンといった人たちの分析は不十分なものに終わり、結果的に彼らのパーソナリティ上の問題が解決できないままに残されたのではないか、とHopkinsは主張している。
 著者は多くの文献的資料を丹念に読み解いて、主張の裏付けとして適切に用いている。そして論理の展開も手堅く、主張は明快で大変説得力のあるものになっている。なかなかの力作で大変勉強になった。