ジョン・スタイナーの恥に関する考察

 John Steiner著『Seeing and Being Seen: Emerging from a Psychic Retreat』を読んだ。2011年、Routledge刊。彼の前著『こころの退避―精神病・神経症・境界例患者の病理的組織化』の続編ともいうべき本だ。
 この本でスタイナーは、病理的組織化から抜け出る際の苦しみについて、三つの視点−広い意味での恥の感覚、劣等感、喪失に伴う悲哀−から論じている。この中で、恥に着目したパートが面白い。というのは、これまでクライン派ではあまり恥については論じられていなかったからだ。せっかくなので、この恥についてのスタイナーの主張を簡単にまとめておく。

 こころの退避psychic retreatの状態から抜けだしはじめると、その人は、さらされる感覚、観察される感覚を体験しはじめる。自己愛構造体の中にいるときは、対象と分離しているとは体験されていない。しかしそこから抜けだそうとすると、対象が全体的に見えはじめ、良い要素、悪い要素も認識されるようになる。その際、良い要素に対して愛と感謝が芽生えるが、それとともに羨望も出現することになる。この羨望によって良い要素への攻撃が生じると、良い対象が傷つけられ失われたと感じ、不安や罪悪感が生じる。だから、こころの待避から抜け出そうとすることは、成長促進的な意義−現実の対象を見ることによって統合の可能性が高まる−がある一方で、耐えがたい痛みが出現するという面もある。それゆえ、こころの退避から抜け出すことは容易なことではない。
 ここまでの主張は、クラインの妄想分裂ポジションから抑うつポジションの主張をトレースしたものなので、そんなに目新しいものではない。しかしここでスタイナーは、こころの退避から抜け出る際に生じる別の情動−恥−に焦点を当てる。
 心的退避状態にある際には、その人は自己愛的な空想の中にいる。この中から抜け出すとき、この自己愛的プライドが破れてしまい、「恥」が生じる。この恥の感覚を、スタイナーはembarrassmentとshame、humiliationの三つにわける。この三つの違いは微妙だが、スタイナーによれば、苦痛が一番強いものがhumiliationで、shame、embarrassmentと順に苦痛は軽くなっていくという。
 この「恥」の出現は、治療の中では「見られることbeing seen」として現れる。この出現過程は、次のように説明される。心的退避から抜け出し始めると、それまで体験されていなかった対象との分離が認識されるようになり、対象との距離が生じる。この時、それまでの中心的な感覚senseは触覚、嗅覚、味覚といった近接覚だったのが、対象との分離にともなって視覚が重要になりはじめる。つまり、分離することによって、離れた対象を見ること、そして対象から見られることが生じ始めることになる。
 ここで対象関係は、エディパルな様相を帯び始めることになる。ここで想定される対象は、primary object とobserving objectである。つまり、それまで同一化していたprimary objectと、その関係を観察するobserving objectとの三者関係が出現する、ということだ。
 子どもは両親との三者関係を持つことはなかなか難しい。というのは、両親のカップルから排除される危険がうまれるからだ。そこで子どもは、父あるいは母との一対一の関係を好むようになる。しかし一人の親との関係をもつと、そこからはずれたもう一人の親が、その親子の関係を観察し、評価する対象として体験されるようにもなる。これがobserving objectである。古典的なエディプス理論では、この役割が父に与えられているが、シュタイナーは父母が逆になることも当然あると考えている。
 治療が進展すると、このobserving objectが出現することになるが、この対象が迫害的な対象として体験されると恥の感覚がワークスルーできなくなり、抑うつポジションに到達できなってしまう。この例としては、ある男性患者の治療があげられる。彼の治療が進展する中で、その患者が他者へ自然な情愛を向けることが可能になりはじめた。しかしこの自然なやさしさが芽生えたことを、彼は女性的なものと感じてしまい、そのために彼の劣等感が刺激されて恥の感覚が生じ、元のこころの退避の状態に戻ってしまった。ここをワークスルーするには、観察される体験にともなう感情について、繰り返しとりあげていくことが必要であった。

 おおざっぱには上のような主張にまとめることができるだろう。(ただ、少なからず不正確なところもある)。こうした細やかな心理理解と議論の濃密さは、やはりクライン派の代表的論客ならではのものだ。熟読したい一冊だ。

Seeing and Being Seen: Emerging from a Psychic Retreat
Seeing and Being Seen: Emerging from a Psychic Retreat (The New Library of Psychoanalysis)John Steiner

Routledge 2011-02-28
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