ユーゴーの絶倫ぶりに驚嘆−ボーヴォワール『老い』

 というわけで、シモーヌ・ド・ボーヴォワール著『老い』を読んだ。原著は1970年刊。朝吹三吉による邦訳版は1972年刊。

 数多くの文献を渉猟してまとめあげた力作ではあるが、あまりにも文献の引用が多すぎ。集めた資料を全部放り込んだかのような内容で、『老い』にまつわる百科本と考えればよい本なのだろうが、とにかく彼女の思考内容を知りたい読者にとっては冗長すぎてついていくのがしんどい一冊だった。
 この本で一番印象的だったのが、第5章で紹介されているビクトル・ユゴーのすざまじい絶倫ぶり、という事実だというのが自分でも情けない。実は有名な事実らしいが、迂闊ながら全く知らなかった。随分昔に見たトリュフォーの『アデルの恋の物語』でのアデルの情熱の激しさが当時はピンとこなかったが、彼女の父親ユゴーが絶倫だということがわかって何となく腑に落ちた。
 さらにどうでもよいことだが、ユゴーは手帳に性的な交渉を行った人の名とその交渉の内容を、愛人ジュリエットに知られぬように符帳を用いて記していたという。この本ではその記載内容の一部が紹介されているのだが、読んでいて思い出したのがジェームス三木の『春の歩み』。まったくとほほな事件であったが、しかしもっと「とほほ」なのは、こんなくだらないことを思い出してしまう自分自身だ。ああ、情けない。