ルノー著『緩和ケア』、ボウルビィ著『対象喪失』などを読む

 この間、読んだ本を手短に。
 ミッシェル・ルノー緩和ケア ー精神分析になにができるかー』。ラカン派の分析家が緩和ケアについて講演した内容を採録した本。本文の記述から推測される聴衆は、一般の医師や緩和ケアに関わる医療職の人たちのようだ。個人的には大変面白く読んだ。
 しかし精神分析的な思考になじみのない聴衆が、この精神分析的なバックボーンを持つ抽象的思考内容に溢れた講演内容を、果たしてどれほど実感を持って理解できたのだろうか。フロイトが大衆向けに行った講演録を見ると、知識のない人たちにも精神分析の知見を理解してもらおうと比喩などを駆使してあの手この手で理解を深めてもらうよう懸命に努力している様子が窺えるが、本講演録からは著者のそうした努力の跡はあまり窺えない。最初から最後まで著者は聴衆に妥協することがないのだ。多分大勢いたであろう今ひとつ理解できない聴衆を前にしてこの著者は、聴衆が顔に浮かべる困惑の表情を半ば無視して進めたか、あるいはそうした反応にも気づかないほどに著者が鈍感であったか、のどちらかなのではないか。いずれにせよ聞き手の情緒体験に十分開けていないという点で、この著者は臨床家としては今ひとつという可能性が高い、と考えてみたがどうだろうか。

 それからボウルビィ著、黒田実郎他訳『対象喪失 (母子関係の理論)』も読んだ。やはりすばらしい。公平な視点、共感的理解と客観的観察とをつなごうとする強い意思、立ち位置の確かさ、思考の明晰さ、そして人間的豊かさ、といった徳を強く感じさせられる。

 たとえば、対象喪失の苦しみは一般に速やかに乗り越えられるものだとする「偏見」に対して、次のように力強く反論した巻頭の一節。

 本書において、私はこれらの偏見と対立する見解を展開するであろう。悲嘆の期間は長期的であるということ、そしてそれらの結果として、パーソナリティの機能が悪化するということを、繰り返し繰り返し強調するつもりである。それらの事実を率直に認めることによってのみ、われわれはその苦痛と無力感を軽減し、災難の発生を減少させることが可能になると思われるのである(p4)

 多くの知見に裏打ちされたこの自信に思わず惹きつけられてしまう。

 しかし今回邦訳の意味を通らないところを英語版と比べて読んでみたが、結構誤訳が多いことが判明。別宮貞徳先生の目に触れないことを祈る。

 ところでルネ・スピッツの記録映画Psychogenic Disease in Infancyを偶然ネット上で発見。12分過ぎから彼の有名なanaclitic depressionの動画が見られる。
http://www.archive.org/details/PsychogenicD

 さて明日、明後日と連続レクチャーだ。がんばろう。