土居健郎先生の訃報に接して

 土居健郎先生の訃報に接して、悲しみや寂しさ、それ以外にもさまざまな感情が一気に湧いてきて、それを正確に表現しようと試みたのだけれど、どんなに言葉を費やしてもうまく書き記すことができない。断片的な思いだけれど、とにかく試みに綴っておく。

 僕はある事情で、土居先生から直筆の手紙を受け取ったことがある。昨年7月末のことだった。そこには、昨年の強烈な暑さにやられて、体調が芳しくない旨が記してあった。そんな手紙だったけれど、僕にとっては土居先生とかすかにつながることができた唯一の糸であったから、手紙をいただいたことをとても嬉しく思った。いまにして思えば、そんな手紙一つを書くのにも、先生は体力を消耗されたであろうことがようやく分かる。それなのに、無邪気にもうれしく感じるばかりだった自分の愚かさを悔いるほかない。

 いまの僕の思いがうまく書けそうにないので、和辻哲郎を引くことにする。 
 漱石の死後8日目に、和辻哲郎は『夏目先生の追憶』という文章を書いている。(岩波文庫の『和辻哲郎随筆集』の中におさめられている)。この文章の中で和辻は、漱石に近寄りがたく感じていた思いを次のように説明している。

私は先生を近寄り難く感じた心理は今でも無理とは思わない。・・・それはおそらく自分の怯懦から出るのであろう。しかしこの怯懦は相手があたかも良心のごとく、自分に働きかけて来るから起こるのである。その前に出た時自分の弱点と卑しさとを恥じないではいられないゆえに起こるのである。・・・自分が道義的にフラフラしているゆえをもって無意識に先生を恐れた。そうして先生の方へ積極的に進んで行く代わりに、先生の冷たさを感じていた。(p136)

 和辻は、当初抱えたこの怯懦から少し自由になったとき、近寄りがたい漱石が抱えている苦しみを、より深く理解する。

 それは先生の前に怯懦を去った時直ちにわかったことであった。先生はむしろ情熱と感情の過剰に苦しむ人である。相手の心の動きを感じすぎるために苦しむ人である。愛において絶対の融合を欲しながら、それを不可能にする種々な心の影に対してあまりに目の届きすぎる人である。(p137)

 この一節を読むと、以前、土居先生が小此木先生に向かって「あなたは甘えで傷ついたことがないようだが、私は傷ついたことがあるのだよ」(「甘え」について考えるp255)と発言されたことを思い出す。その発言を知った当時の僕は、土居先生自身が甘えを深く希求しておられたがゆえに、「甘え」理論が生み出されたのだろう、と単純に思っただけであった。しかし、先生の透徹した視線が、甘えようとした対象の中にも利己心や嘘が含まれているのを見抜き、甘えることの困難さを引き起こしていた可能性については、全く気がついていなかった。
 和辻の漱石に対する次の言葉は、土居先生にもそのままあてはまるように思う。

−先生は「人間」を愛した。しかし不正なるもの不純なるものに対しては毫も仮借する所がなかった。その意味で先生の愛には「私」がなかった。私はここに先生の人格の重心があるのではないかと思う。(p139)

 僕が先日、このブログで『臨床精神医学の方法』のレビューを書いたのは、土居先生に感謝の念を伝えたかったからだ。しかし直接それをお伝えすることができなかった。ブログをプリントアウトして、それを先生に直接お送りすればよいだけだったのに、それができなかった。自分の怯懦ゆえのことである。
 ここ数日の梅雨空の合間には、夏の太陽が顔をのぞかせるようになった。そのまぶしい光が、土居先生の便りを受け取った昨年の夏のことを思い出させる。もっと精神科医として、そして人間として成長せねば、と強く思う。