陸軍面接官に土居健郎先生が述べた危険な発言

 昨日の日本経済新聞の夕刊に、土居健郎先生についての「追想録」が掲載されていた。日経の特別編集委員の方が執筆された、『「甘え」の構造』の紹介を軸にした記事である。
 ここに先生の最後の日々の様子が紹介されている。

亡くなる半月前まで、東京・世田谷区の自宅で週に2度、精神科医の後輩に対話しながら指導をした。・・・6月13日、麹町の教会でホイヴェルス神父追悼ミサに参列。最期は自宅で家族にみとられ、安らかに目を閉じた。

 この記事中に、土居先生の奥様、千代さんへの記者の取材に基づいた一節がある。そこには、ホイヴェルス神父を「心の父親」として尊敬していたこと、その影響下でプロテスタントからカトリックに改宗されたことが紹介されているが、そのあとに非常に重要なエピソードが記されている。

 同年(1942年)9月、東大医学部を繰り上げ卒業。陸軍の面接で戦争について問われ「悪いことです」と答える。発言は波紋を起こし、軍医としての昇進は、他の卒業生より遅れた。

 僕はこのエピソードのことは、はじめて知った。土居先生の本はほとんど目を通してきたが、このエピソードが活字になっているのを見た記憶は僕の中にはない。(ただ自信があるわけではない。もしご存じの方があれば、お知らせください)
 1942年9月であれば、ミッドウエー海戦後まもない時期で、まだ内地では厭戦気分はそう高まっていない時期である。そんな時期に、陸軍面接官に「戦争は悪いこと」と自分の信念を開陳する必要は全くなかったはずだ。そんなことをすれば、面接官の逆鱗に触れるだけでなく、日本社会における我が身、そして家族の立場をも危険にさらす行為であったはずだからだ。
 にもかかわらず、土居先生はそれをおこなった。
 この行為が孕んでいた時代的危険性とその重みゆえに、「甘え」理論の成立を理解する上で、「古澤先生との決裂」という出来事以上に鍵となるエピソードである可能性がある。